東京で迎えた3日目の朝。
朝から、「第二次・東京怪異ゾーン探訪」を行いました。
痛めた足がまだ痛かったのですが、ずいぶんましになってきたので歩きました。
でも無理しないよう、ゆっくりと歩みました。
今日のメインは、「狸・狐ゆかりの地めぐり」になります。


本日のウオーキング歩数、25,944歩。(うちエクササイズウオーク20,723歩)、消費カロリー944kcal、燃焼脂肪量61.4g。


2013年2月11日(月)




行動開始場所は、地下鉄浅草線・三田駅。
泊まったホテルは地下鉄馬込駅至近。
だから、三田駅までは駅の数でいうと6つ目。
あっという間に到着し、そしてウォーク開始。
札の辻の交差点へ。
ここ札の辻は、かつて高札場があった場所。
広大な刑場の一角であったここ札の辻も、かつては頻繁に処刑が行われていました。



この辺りの斜面一帯は鈴が森の刑場ができる前の刑場跡で、小伝馬町からここまで引き回された罪人や、あるいは政治犯・冤罪の人がこの地で無念の最後を迎えました。
特にキリシタンの受難の地で、江戸初期の家光の時代から多くのキリシタンがここで最期を迎えます。
今回は寄りませんでしたが、付近には「キリシタン遺跡」もあります。
遺跡というものの、そこは特に多くのキリシタンが最期を迎えた場所。
惨殺は丘だけでなく海辺でも大規模に行われていました。
ビル群に隠されて海の存在を感じませんが、この辺りは芝浦の海岸近く。
海岸にはキリシタンを逆さ吊りした柱が多数立てられ、逆さ吊りの苦しみのうめき声をあげながら潮が満ちて溺死させられたれたキリシタン達。
公平なさばきなどなかった当時のことを考えると、かつてここで行われたことに戦慄を覚えます。



高層ビルが林立する一角に忽然と現れた神社。
御田八幡神社です。



正面の階段が男坂。
少し右側にゆるくカーブを描いている坂が女坂です。
さほど大きくない神社ですが、男坂女坂があるのには興味を惹かれます。



男坂を上がります。



男坂と女坂の間に鎮座する狛犬。



拝殿へ。



境内。



社殿の裏の崖には「狐穴」があるはず。
この辺りでしょうか?
見つけられませんでした。
と言うか大量にたまったお札などを処理する仕事をする人がこの近くにいて、あまりウロウロとできなかったのです。(+_+)



亀塚公園へ向かいます。
長い間工事が行われていたのですが、その工事も終わり御田八幡神社からも、あるいは神社境内を通らなくても亀塚公園へ行くことができるようになりました。
この階段は御田八幡神社から上がると136段あり、都心にある屋外の階段としては最も段数が多いとされています。



長い階段を上がり、亀塚に到着。
この亀塚は、古墳だとも、あるいは平安時代に書かれた「更級日記」に登場する竹芝寺の伝説地とも伝えられます。
真相は私には分かりません。



公園内にある亀塚の説明板。



亀塚があるここは、今は子どもがゆったりと遊ぶことができる公園になっています。



公園内には綺麗な花が栽培され、とってもいい雰囲気。



この辺り一帯は、広大なキリシタン処刑地跡。
亀塚公園内にあった公園付近の「住宅」案内図を見ると、住宅はほとんどなく多くの地が寺院。
驚かされました。






亀塚公園を後にして、済海寺へ。
済海寺は広い敷地を持つ近代的な寺ですが、なぜか境内には私が大嫌いな外車が。
その外車は、おそらく僧侶の自家用車。
仮にもしそうだとしたら、私は僧侶は外車など乗り回さないで欲しいと強く思います。
だって、外車を買うお金は檀家の人の懐から出たもの。
無駄遣いはして欲しくありません。
外車が無駄かどうかは意見が分かれるかもしれないので、それはいいとして。
ここ済海寺は、かつて日本最初のフランス公使館跡。
最初のフランス公使館は寺院の境内に設置されたんですね。



説明書き。



済海寺境内。
広々として近代的な感じがするお寺です。



ここは都心。
寺の周りは高層ビルが林立しています。



済海寺境内から北方向を望む。
ここら辺りから北方向は、かつてキリシタンの処刑地でした。
処刑地という歴史ゆえに一帯は長らく放置され荒れ地となっていましたが、今では多くのお寺が建っています。



済海寺の北西方向にある幽霊坂へ。



幽霊坂。
付近には数多くの寺院があります。
都心にもかかわらず、静かな雰囲気に驚きます。
この辺りからは東京タワーが見えています。



「御化粧延命地蔵尊」(別名・おしろい地蔵)にお参りするために玉鳳寺へ。
地蔵尊の縁起は以下です。
「寺が移転する前の寛永年間に八丁堀の地蔵橋畔に捨てられたものを、当時の住職格翁宗逸和尚が修復し、白粉を塗って祭ったところ、和尚の顔面のあざが奇麗に消えたので、人々が自分の体の病気のあるところと同じ部分に白粉を塗って祈願するようになったといわれます。今も病気平癒の祈願の為に白粉を塗る参詣者があり、信仰が続いています」(港区文化財のしおり)。
「地蔵橋」という名前に記憶があるなと思ったら、「第一次・東京怪異ゾーン探訪」で訪れた「のっぺらぼうが出た場所」でした。
地蔵橋があった辺りも刑場跡で、祭の山車や神輿が避けて通り、江戸の人々が住むのはおろか近づくのも極端に嫌がった場所。



御化粧延命地蔵尊。
地蔵堂にまつられています。



おしろいが供えられていました。
地蔵堂内の椅子の上には自由に書き込めるノートが置かれていたので、家族などの健康長寿を念じる書き込みをしておきました。
ノートには美肌の願いと共に、延命などを念じる書き込みや闘病をつづった書き込みもありました。






「美肌成就」「無病息災」「延命長寿」と御利益が書かれています。



玉鳳寺をあとに。
そうそう、ここ玉鳳寺には次のようなエピソードもあります。
宝塚音楽学校にかつて在籍し将来を嘱望された北原遥子さん(本名・吉田由美子さん)にまつわる話です。
北原さんは「宝塚随一の美女」とされた美貌や才能を高く評価されていましたが、とあるトラブルから宝塚を退団することになってしまいます。
宝塚退団後はミュージカルに出演するなど活躍していましたが、1985年8月12日にあの日本航空123便墜落事故に巻き込まれて24年の若さで生涯を閉じてしまいます。
横浜の実家に帰省した後、大阪の友人に会いに行くための搭乗だったと言います。
玉鳳寺が北原家の菩提寺であったことから、この寺に観音像が建立されました。
宝塚での同期生・黒木瞳さんは、命日にはこの寺を訪れその死をしのび冥福を祈っているそうです。



次に、普連土学園を目指します。
何だか変わった建物がありました。
工事中の建物かとも思ったんですが、よくよく見ると工事はかなり前に途中で止まっている感じです。



建物内部。
窓枠さえないので内部は丸見え。
生活臭が色濃く感じられます。



普連土学園に到着。
ここ普連土学園(ふれんどがくえん)は、クリスチャンスクールです。



普連土学園は、忠臣蔵で有名な吉良上野介というか吉良家の菩提寺であった功運寺の跡地に建ちます。
寺の境内には「綱塚」があったとされます。
つまりここは、京都の一条戻り橋に出没した鬼を対峙したことなどで有名な渡邉綱ゆかりの地。
学園がある小高い丘には綱の住居があったとされています。
綱の生地や屋敷は、今も三田綱町という地名が残る場所にあったようです。
そこには今から向かいます。



聖坂。
綱の住居跡があった小高い丘の傾斜を下る坂です。



付近の潮見坂。
高層ビルが建つまでは、芝浦の海の風景がここからよく見えていたようです。



潮見坂。
今では建物にさえぎられて海は全く見えていません。



次に狸穴(まみあな)公園を目指すことに。
慶應義塾大学三田キャンパスの正門前を通過。
慶應義塾大学の住所は「港区三田」となっていますが、この辺りが三田綱町のはず。



綱坂へ。



綱坂の説明。



綱坂を上る右側にはイタリア大使館が。



イタリア大使館の敷地内には池があり、そこが赤穂浪士の大石主悦以下の切腹場所跡とされています。
残念ながら入ることはかないません。



綱の手引き坂。
幼い綱が乳母に手を引かれてヨチヨチとこの坂を上がっていった姿が目に浮かびます。



三井倶楽部の角で左折し、三井倶楽部の門前へ。
三井倶楽部は三井グループの迎賓館だとか。
「会員以外立ち入り禁止」の表示にややムカッときます。



オーストラリア大使館前へ。



オーストラリア大使館内には、「綱の井」と呼ばれる井戸があります。
その井戸は、渡邉綱の産湯に使う水を汲んだとされる場所。
この付近最古の井戸で かつてはかなりの水量があり、人々に役立っていたようです。
その井戸も、大使館敷地内ということで目にすることができません。



日向坂を下り終えました。
高速道路とその下の薄暗い川が、今まで通ってきた場所の雰囲気全く異なるのに驚きます。
そろそろ麻布に入ります。
この川を渡って右折し、狸穴(まみあな)公園を目指すことに。



今日の最終目的地である麻布狸穴町にある狸穴公園に到着。
そろそろ昼食の時間ですが、昨夜泊まったホテルでの朝食バイキングを大量にいただいたので昼食は抜くことに。
その浮いた資金で、帰りの土産を買おうと思っています。
計画的に朝食バイキングを思い切り食べたんです。(^_^.)



狸穴公園なのに、なぜかお稲荷様が。
公園の近くにはロシア大使館があります。



狸穴公園内のお稲荷様。



普通の児童公園の中にお稲荷様があるという雰囲気。



付近には鼠坂があります。



狸穴坂を上がりました。
麻布狸穴町の狸穴坂は「麻布七不思議」のひとつ。
このあたりの坂は勾配が急で、竹林に覆われていました。
うっかり迷い込むと出られなくなるほどのうっそうとした竹薮だったそうです。
水戸黄門様も迷ったとも伝わります。
坂の下にはかつて古洞があり、そこは「狸穴の古洞」と呼ばれていたそうです。
ちなみに。
麻布七不思議は以下のものがあります。
1・我善坊
2・狸穴
3・逆さイチョウ
4・蝦蟇池
5・天源寺の狸囃子
6・六本木
7・一本松



違う説もあります。
「マミアナ」とは馬見山(マミヤマ)の読みが変化して「マミアナ」となり、そこに「狸穴」の字があてられたとするものです。
つまりこの辺りは古代の牧場があった場所だというのです。
坂が多いこの付近はよく観察すると谷になっており、その谷の「出口」にあたる狸穴公園より少し下の位置を柵などでふさいでしまえば確かに牧場として十分利用可能な地形。



予定していた場所は全て周りきりました。
まだ時間が早いので、足の向くまま気の向くまま。
ブラブラ歩き、適当な駅で電車に乗り東京駅に向かうことに。
歩いていると、こんな坂がありました。



こんな坂もありました。



東京メトロの溜池山王駅まで歩き、そこから東京駅へ。
赤レンガ駅舎を眺めます。
昨日妻と共に見た時はもう日没だったのですが、今日は好天。
また感じが違って見えます。



いいですねえ。



ここには妻と共にもう一度来てみようと思います。
そして時間がなくて見ることができなかった内部もゆっくりと見たいものです。






芋ようかんと「すぐれもん」という名前のレモン風味のスイーツを土産に買って帰路に。
「のぞみ」に乗り込みます。
新幹線の新型車両「N700A」だといいなと思っていたんですが、残念ながら普通のN700でした。




東京行きには、長女家族と会う楽しみと、そして「怪異ゾーン」などを歩く。
その二つの楽しみがあります。
次の東京行きが楽しみ。
ただ・・・・。
夫婦二人で新幹線を利用した上でホテルに宿泊すると、費用は10万円を大きく超えてしまいます。
それほど頻繁に行くわけにはいかないのが残念。
そのうちに、「青春18きっぷ」を使って行ってみようかなぁ・・・・。





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