新しい年になって二回目のトレーニングウォーク。
場所は、私が少年だった頃に見た風景が今も残る槇島。
懐かしい風景が今も残る喜びをかみしめながらのウォークになりました。


本日のウオーキング歩数、27,763歩。(うちエクササイズウオーク25,474歩)、消費カロリー1,100kcal、燃焼脂肪量77.0g。

2013年1月6日(日)




天気はいまいちですが、例年より寒くなった冬にしてはやや暖かな日。
歩き始めてまずここへ。
小学生か中学生の頃に見た記憶がある場所です。



ここは醤油工場だったようなかすかな記憶があるのですが、定かではありません。



かなり風化している感がある煙突の煉瓦。
高く積んであるので、このまま風化が続けば煙突が突然崩れる可能性もあります。
いつまでも残っていて欲しい建物・風景ですが、そういうわけにはいかないかもしれません。



のどかな田園風景に徐々に迫る住宅。
かつてこの辺りは、巨椋(おぐら)池の島があった場所です。



槇島公園内にある「槇島城記念碑」。
残念ながらこの碑があるこの公園は、槇島城の敷地内ではありませんでした。
でも、ここからおよそ二百メートルほど離れた,、「この付近槇島城址」と刻まれた石碑がある「薗場(えんば)児童公園」は槇島城の本丸の中心部だった場所。
以前訪れたことがあるその「薗場(えんば)児童公園」を今日も訪れようと探してみたのですが、結局見つけられませんでした。



「槇島城記念碑」横にある説明。
説明を見ても、ここが槇島城の外だったことが分かります。
槇島城について。
地方の豪族であった真木島氏(槇島氏などとも表記されることがあります)が築城したのが槇島城。
織田信長に兵を挙げた足利義昭は、真木島氏を頼って槇島城に入り籠城しました。
しかし信長勢の猛攻であえなく落城。
事実上、室町幕府はこの地でついえたことになります。
義昭が脱出した後の槇島城は伏見城築城後にその戦略的価値を失い、やがて廃城となってしまいます。
平城だった槇島城ですので石垣などもなく、今は何一つその痕跡を残していないまさに「幻の城」なのです。



民家の向こうの堤防は、宇治川左岸道路。
秀吉が太閤堤を築いた頃の宇治川は、この位置より数十メートル向こう側でした。



水害から民家を守る目的で積まれた石垣。
水害が多発していた頃には、この辺りではどの家にも小さな舟が水害に備えて置いてありました。



「菊水マッチ」のマークのような形の、出窓を支えるための金具。
以前はよく見かけましたが、最近は探してもどこにもありません。
でも槇島では今でも、こうして見かけることもあるのです。



池のように見えますがただの池ではありません。
宇治川の水が堤防の下を超えて湧き出ているのです。
堤防下をストレートか、あるいはストレートでなく別ルートなのかは分かりません。
でも宇治川の水位が上昇すると、ここの流出水量もそれに連動して増えます。
この池の近くに中学時代の同級生の家があり、よく遊びに来ていました。
その頃と今とを比べると、風景は何ら変わっていません。



幅が2メートルほどの水路の水門。
この水門も、私が中学生の頃からありましたが、未だに現役で活躍しています。



反対側から。



バス停の待合のような大きな地蔵堂。
数年前に新しく造られました。
地蔵様が地域の人たちから大切にされていることがとてもよく分かります。



懐かしい店の前を通過。
1960年代後半から燃え盛った学生運動や労働・政治闘争。
団塊世代よりやや年下だった私は、1970年頃からその闘いの渦中に身を投じました。
職場で志を同じとする仲間と共に積極的に活動に参加することも多かった時代です。
そんな職場の仲間達と結構激しい街頭闘争を終えた後、よく「総括会議」という名目の飲み会をこの店で開きました。
浴びるほどビールを飲み、店のメニューにはなかった「ホルモン鍋」を特別に作ってもらい大量のニンニクを入れたものをつつきながら、ワイワイと騒いだものです。



当時とっても可愛いお嬢さんがこの店にいましたが、彼女は今頃どうしているのだろう・・・・。
この店は、私の青春時代の歴史の1ページが残っていて、そしてこの店を見ると当時のことを思い出す。
そんな場所なのです。
本当に懐かしい。



槇島ウォークを終え、ユニチカ宇治工場前へ。
この「止まれ」の標示がある道路は、旧国鉄宇治駅から日本レイヨン(今のユニチカ宇治工場)への引き込み線の線路跡なのです。
「止まれ」の先の道路には10年ほど前までレールが残っていたのですが、撤去されました。
撤去までに写真を撮っておけばよかったのにと悔やまれます。



引き込み線跡をたどると、JR奈良線・宇治駅に至ります。
ただし、道の突き当りには塀が設置されているので、この奥から宇治駅に行くことはできません。



宇治市役所近くの「宇治市名木百選・しだれざくら」。
ここは私の同級生の家の敷地だったはず。
うっそうとした木々に覆われた状態が長かったのですが、ごく最近そうした木々が切り開かれ始めました。
「なぜだろう?」と思い寄ってみて、このような風景を目にしました。
しだれざくらの存在より、宇治市役所至近にこのような風景が残っていたことの方にむしろ驚かされます。



探検してみたい気がしますが、私有地なのでやめておきます。
でもなぜ木々が切り開かれ始めたかはわかりました。
掲示されていた表示を見ると、どうやら中堅のスーパーマーケットがここに建設される模様。
さて、帰路に。



急速に都市化が進んだ宇治市ですが、探せば実に多くの昔ながらの風景が残っています。

日本レーヨンの引き込み線の線路の一部がずっと残っていたのに、ある時突然姿を消してしまいました。
それと同じことが、さまざまな風景に起こることも予想されます。
わが故郷宇治の懐かしい風景を、姿があるうちに少しでも多く写真で記録していきたいなと思います。



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