今日は妻と共に秋晴れの山背古道を歩きました。
妻は結婚以来これほどの距離を歩いたことはなかったのですが、それでもこの日は頑張って20km近く歩きました。
妻と共に訪れた秋の山背古道は、とっても素敵でした。


本日のウオーキング歩数、30,148歩。(うちエクササイズウオーク21,276歩)、消費カロリー903kcal、燃焼脂肪量57.1g。

2012年10月20日(土)



JR宇治駅から城陽行きの普通電車に乗車し終点の城陽駅で、奈良行きの「みやこじ快速」を20分近く待ちます。
やって来た「みやこじ快速」に乗りましたが、目的駅は「平城山」なので新快速は停車しません。
そこで木津駅で下車し、後続の普通電車を待ちます。
待ち時間は10分。
宇治から平城山に行くだけで30分も待ち時間がある計算になります。



JR木津駅は、JR奈良線・JR片町線・JR関西本線の交わる駅で、2006年に改築工事が行われました。
大正期の建設とされる駅舎ですが、こうしたスレートぶき屋根など旧駅舎の一部も現役で使われています。
かつて存在した大仏鉄道は、関西本線と奈良線が接続したことにより廃止の運命に至ったとされています。



平城山駅に到着。
駅前のモニュメントを眺めます。



妻が「干支の日時計のようですね。」と。
そう言われて改めて眺めて「そうか!」と納得しました。
何度も見ているものですが、干支でかつ日時計であるとは全く考えていませんでした。



イノシシちゃん。
干支の亥ですね。



平城山駅から直線距離なら1kmあまりのショッピングセンターへ。
道が曲がりくねっているのと自動車ではなくウォークなので通れる道路が制約されることもあり、感覚的には2kmほど歩いて到着。
時刻はもう正午少し前なので、ここで昼食タイム。



ショッピングセンターで昼食を終え、上人ヶ平(しょうにんがひら)遺跡公園へ。
先ほどもこの前を通りましたが、山背古道に南の起点はここなので改めてここまで来ました。



よく整備された遺跡公園ですが、遺跡公園と言うより地元の普通の公園の感じ。
家族連れなどが秋の午後の時間を楽しんでいました。
でもそれでいいのです。
多数ある古墳などもよく保存整備されており、解説なども付けられていてとってもいい感じで、もちろんただの公園ではありません。



上人ヶ平古墳群と、そして平城京へ納める瓦を生産した奈良時代の瓦窯跡・瓦工房跡とを中心に整備された遺跡公園。
その公園に身を置き、弥生〜室町時代の複合遺跡が混じる場所の現在の風景を眺め古代に思いをはせます。



上人ヶ平遺跡公園の見学を終え、歩き始めます。
山背古道の南の起点が上人ヶ平(しょうにんがひら)遺跡公園に伸びるまで、長らく山背古道の起点であった場所に到着。
カラスウリの実がありました。



長らく山背古道の南の起点であった五領池。
水草が水面を覆い尽くしています。
覗き込むと、亀があわてて水中に飛び込みました。



山背古道ウォーク開始。
私は何度も何度も五領池を南の起点として山背古道を歩いていたので、私にとっての山背古道の南の起点は「未だに五領池」の感があります。
だから、五領池からが私にとっての山背古道のウォーク開始。



半鐘の塔。
いつの時代のものなんでしょうか。
以前は上に半鐘の実物もあったんでしょうが、金属類の盗難が多発した時期よりもかなり以前に撤去されてしまったようです。
他の場所の半鐘は金属類の盗難が多発する時期までは結構頻繁に見かけることがあったんですが、ここの半鐘は私は一度も見たことがありません。



半鐘の下部。
山背古道は「大切なものが思い出せる道」との説明がされることがありますが、そのことが納得できるような風景。



山背古道ウォークは、懐かしい風景を見ながらの「路地ウォーク」でもあるのです。



路地歩きを終え、奈良県道754号線に出ました。
小さな工場の塀の瓦にとっても面白いものがありました。



秋を迎えた文廻(ぶんまわし)池周辺。
ここは、木津農業用水・文廻池分水場です。






岡田国神社前へ到着。



今日は地図を持参していません。
それは、極めて分かりにくい山背古道のあらかたのコースは私の頭に入っているから。
でもそのように確信をもって歩を進めているのに、なぜか道の間違いを幾度も。(+_+)
でも、すぐにこうして山背古道に戻れるのが救い。



木津惚墓(きづそうばか)五輪塔。
住宅街の中にあり見つけにくいので、私も最初の頃はなかなか見つけることができませんでした。
でも今は、コースを歩いていると周辺の風景でこの五輪塔がある場所が分かるようになってきました。
この五輪塔は花崗岩で造られ1292年の刻銘があるため、年代の明らかな五輪塔として極めて貴重。
重要文化財にも指定されています。



木津惚墓の説明。



歩を進め正覚寺へ。
ここ正覚寺には、1712年8月の木津川氾濫で犠牲になった数千人の霊を弔う阿弥陀石仏如来があります。



阿弥陀石仏如来。
大洪水の被害を今に伝える貴重な石仏です。
ちなみに。
木津川の洪水は江戸時代だけでも35回を超えたとされており、木津川水害の頻度に驚かされます。



阿弥陀石仏如来の説明。
1712年8月大水害の犠牲の大きさなどが記されています。
水害では浸水の深さが4メートルを優に超えたそうです。
またこの時の水害では幼子も多く犠牲になりました。
「童女・童子」と刻まれたり書かれた名前を見ると、当時の惨状が目に浮かび胸が痛みます。



正覚寺をあとにして、和泉式部の墓所があるとされる寺らしき建物へ。
この建物が本当にお寺かどうかは不明。
ただ、何度もここに来ていますが、いつも同じ軽自動車が敷地内に駐車してあります。
その軽自動車の持ち主の方と接触することができれば、あるいはこの建物がなんであるかを知ることが可能かも。



建物にはしゃちほこが。
寺と言うより、小さな城の雰囲気さえ漂っています。



しゃちほこをズーム。



和泉式部の墓へ。



これが本当に和泉式部の墓かどうかは定かではありません。
和泉式部の墓とされるものは「京都の誠心院」「伊丹」「山口県」「亀岡の稱名寺」など数多くありますが、ここもそのうちの一つ。
ただ和泉式部は木津の出身とされ、晩年を木津で過ごしたとも伝わります。
ここが本当の墓所の可能性も捨てきれません。



説明板。



和泉式部が生きた平安時代にしばし思いをはせます。



更に歩を進めます。
本当にいい天気。
こんな日に歩くと、山背古道の素晴らしさが改めて感じられます。



間もなく木津川の堤防。
大智寺前通過。



ほどなく木津川の左岸堤防に至りました。
堤防上を少し歩き、自転車道の南の起点に到着。



泉大橋に到着。
橋を渡って山背古道を更に北上しようと思っていたんですが、都合が悪くなり本日の山背古道ウォークはここまでということに。



泉大橋から1kmあまり歩いて、JR木津駅に到着。



歴史と新しさが混在する木津駅。



木津駅で「みやこじ快速」に乗り、帰路はあっという間に宇治駅に到着。
JR宇治駅を出て宇治橋通り商店街に入り、そぞろ歩き。
目的は、平等院通りまで行って抹茶ソフトを食べること。



無糖の抹茶も振りかけてありとっても香ばしい抹茶ソフトをおいしくいただいた後、宇治川に架かる橘橋へ。
さて、帰路に。



山背古道には取り立てて大きな観光地があるわけでもなく、沿線の見どころも京都を紹介するガイドブックに載っていない場所がほとんど。
それでも私は、山背古道がとても気にいっています。
なぜかと言うと、「子どもの頃に見たことがあるような、そんな懐かしい記憶につながる風景」を今でも見ることができるから。

季節を問わず素敵な山背古道ですが、特に今の季節は格段に素敵です。
そんないい季節の山背古道を妻と共に歩き、大満足の一日になりました。




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