今日は、仙台訪問の二日目。
宿泊した「仙台・杜のホテル」からの早朝散歩で一日が始まりました。
昼間は次男の案内で松島〜塩竃を観光しました。
夜には、仙台市で行われる16,000発打ち上げの「七夕花火」を、次男が購入してくれた6人用桟敷に3人で陣取り間近で心行くまで楽しみました。
ただ、デジカメの電池切れで松島の途中からその後ずっと写真が撮れなくなってしまったのが残念。


本日のウオーキング歩数、約25,598歩。(うちエクササイズウオーク16,005歩)、消費カロリー689kcal、燃焼脂肪量42.5g。

2012年8月5日(日)



ホテルで早朝に目覚めました。
普段朝早い仕事をしているので、どうしても朝早く目覚めてしまいます。
まだ寝ている妻を起こさないように気をつけながら着替え、朝の散歩に出発。
青葉通りを横切ります。



学校前を通りかかるとこんなのぼりを発見。
志賀潔博士と言えば、 赤痢菌 shigella の発見者。



とっても味がある家を発見。
あの大震災にも耐えてこんな家が残っているなんて、とっても素敵!



しかも、明かりが点いているところを見ると間違いなく現役の住居。
いいですねえ・・・・。



何と!放送大学があるではありませんか。
放送大学のことはよく聞きますが、仙台にあったとは全く知りませんでした。



広瀬川に着きました。
この「おたまや橋」を渡って少し進みましたが、暑いので引き返すことに。



こんな店がありました。
「何と読むのかな?」と思って写真を撮ったのですが、考えてみると簡単でした。
「とりごや」ですよね。



「狐小路」がありました。
元々ここら一帯には多くの武家屋敷があり、その武家屋敷には「武家林」よ呼ばれたほどの規模のうっそうとした庭がありました。
この付近はその武家屋敷の近くで竹藪の中に延びる細い道が多くあり、時には狐が出没。
そういうことから、この名前がついたとされています。



再び青葉通りを横切ります。
日差しがかなりきつくなってきました。



う、うまそう!
馬刺しをあてに一杯飲んだらおいしいだろうなあ・・・・。
なんちゃって。
まだ朝食さえ食べてない!っちゅうの。
いくらなんでも「一杯」を欲しいとは思いません。



仙台市戦災復興記念館へ。
一瞬「震災復興記念館」かと思いましたが違いました。
原発事故の終息が数千年単位という気の遠くなるようなことであることを考えると、仙台だけでなく東北の震災復興は一体いつになるのか。
そのことを考えると胸が痛みます。



宿泊先の「杜のホテル仙台」まで戻ってきました。



ホテル内へ。
平日ならまだ通勤ラッシュにもなっていない時間帯。
ホテル内はシンと静まり返っています。



朝食後、ホテルまで来てくれた次男と合流。
全線復興ままだですが、津波の被害から一部復興なったJRで「松島海岸駅」に到着。
渋滞する可能性があるので、レンタカーは利用しません。



海岸へ向かいます。
震災で被災したと思われるこうした風景がそこかしこに見受けられます。



「どんぐりころころ」の歌碑がありました。
歌の作詞者である青木存義(あおきながよし)氏が松島出身のため、観瀾亭近くにこの歌碑が立っているのです。
余談ですが、「どんぐりころころ」は3番まであるのをご存じでしたか?

2番の
♪どんぐりころころ よろこんで
 しばらく一緒に   遊んだが
 やっぱりお山が   恋しいと
 泣いてはどじょうを 困らせた♪
はよく知られています。

あまり知られていない3番の歌詞は以下です。
♪どんぐりころころ 泣いてたら
 仲よし小リスが  とんできて
 落ち葉にくるんで おんぶして
 いそいでお山に  つれてった♪



歌碑の説明。



拝観料一人200円を支払って観瀾亭に入りました。
前日昼過ぎに仙台空港に着いた時の気温は27℃で、京都との気温差は実に10℃。
そのあまりの涼しさに驚いたものです。
でも翌日のこの日の気温はかなり高く30度をゆうに超えており、しかもカンカン照り。
暑さに辟易としていたので、観瀾亭に入った途端に吹き抜けてくる爽やかな涼風にしばし暑さを忘れました。
話は変わりますが、ここの拝観料だけでなく今回の私達夫婦の仙台旅行の費用は宿泊費を含めて全て次男が出してくれました。
払おうとしてもガンとして1円も受け取らない次男の好意を申し訳ないと思いつつ、今回は甘えることにしました。



観瀾亭には様々な展示品があります。



観瀾亭内部から見る、復興なった松島港。



立派で美しい松島湾の風景に感無量。




しばし、涼を取るために休憩。
注文して運ばれてきた、抹茶と「ずんだ餅」のセットをおいしくいただきます。



休憩を終え、観瀾亭の敷地内を周ることに。
観瀾亭は伊達家の御仮屋御殿として建てられたもので、5代藩主伊達吉村によって観瀾亭と命名されました。
文禄時代に豊臣秀吉から伊達政宗が譲り受けた伏見城の1棟で、江戸の藩邸に移築したものを更に2代藩主伊達忠宗が松島月見崎に移したと伝えられています。
伏見城の遺構が、はるか遠く離れたここ松島に残っているとは驚き!



小さな芭蕉像。
松島湾を背景に、とってもいい感じの像でした。



これは・・・・?
おそらく朽ちた樹だと思っていたんですが、説明を読んでそうではないことを知りました。



説明板。
「セコイアの化石」と書かれています。
どう見ても樹にしか見えないので、説明を読んでから改めて触ってみると。
驚いたことに、朽ちた木の感触ではなく完全に石でした。



敷地内にある「松島博物館」に入りました。
屏風のようなものがありました。



説明です。
屏風などではなく、伊達家歴代の霊碑を安置した因縁殿という祠堂の扉。



龍がありました。



瑞鳳殿に取り付けられていた阿吽の龍です。



これは何だろう・・・・。



瑞鳳殿の手水盤だそうです。



当時の武者が身に着けていた鎧兜。
なかなかの迫力。
ただ、当時の人がとっても小柄だったことがうかがえるサイズでした。



「ちょっと怖いかな?」と思える表情の人形も。



観欄亭をあとに。



次に、瑞巌です。
でも昼食時ですので瑞巌寺へ行く前に松島海岸で昼食を摂ることに。
瑞巌寺への道と45号線との交差点にはシャッターを下ろした店が何軒もありました。



土嚢が積んであります。
多くの困難を乗り越え震災と大津波からは早くも復活した感がある松島一帯ですが、こうしてそこかしこに災害の痕跡が見てとれます。



震災で、それまで経営していた店を閉じざるを得ない。
そうした人々の残念さが伝わってくるような風景。



海岸沿いの店で昼食を摂ります。
牛タン焼、牡蠣焼き、そしてホタテ貝焼き。
そのおいしさに驚きました。
飲み物は「ずず音」(一の蔵)等など。
すず音は、「お米から作った和製シャンパン」などと表現される宮城名産のプチプチはじける日本酒です。



特においしかったのがホタテ貝。
これほどおいしいホタテ貝を食べたのは初めて。
肉厚でジューシーで濃厚な風味があり絶品でした。



店には津波の被害記録写真が貼ってありました。



ホタテ貝は、石巻雄勝産でした。
震災後、1年5ヶ月ぶりに入荷が始まったようです。



改めて被災写真を眺めます。
短期間でここまでの復興を可能にする力を持つ私達。
原発「事故」による高濃度放射線汚染さえなければ、東北はもっと早くより高度に復興を遂げていたはず。
「日本のエネルギーは原子力を基幹とする。」という方針で、危険性を指摘する市民団体などの提言をことごとく無視してきた政治家と電力会社。
そのため、半減期数千年のものを含む放射線物質が広範囲に撒き散らされ、私達は国土に住むことができない地域を抱込んでしまいました。
「日本のエネルギーは原子力を基幹する。」という方針のため、日本はこれまで近海で石油などの海底エネルギー資源の調査さえ満足にしてきませんでした。更に。
原発の放射線により私達の体に病理的影響が出始めるのは、早くても何十年と先。
そんな状態なのに、原発を再稼働させ始めた日本の政治家と官僚・電力会社。
総理大臣がいくら「私の責任で稼働を決断した。」と言っても、全く私の心には響きません。
「腐った政治家・官僚・電力会社なんか要らない。」と心から思います。



次に笹かまぼこが手焼きできる店に入ります。
生のこの笹かまぼこを、今から炭火でおいしく焼きます。
はてさて、うまく焼けるかな?



しゃべりながら30分近くかけて、笹かまぼこが何とかきつね色に焼きあがりました。



手焼きの笹かまぼこを食べ終え、海岸沿いをそぞろ歩き。
あまりにも暑いのでUターンし、瑞巌寺の五大堂へ。



橋の下は海。
干潮時刻なのでしょうか、橋の下に水がありません。



五大堂縁起。



重要文化財の五大堂へお参り。



五大堂前から、今渡ってきた橋を眺めます。



五大堂をあとにして、再び海岸へ。
日本三景碑がありました。



「日本三景の日」なんてのがあるんですね。
初めて知りました。



私達に恵みをもたらす海ですが、ひとたび牙をむくとあのような大惨事が起きる・・・・。



それでも海は素敵。
見えている屋根は五大堂のものです。



五大堂ををズーム。



瑞巌寺へ向かいます。
「奥の細道」の案内柱がありました。
大津波の復興で新しくなったものなのでしょうね。



暑いさなかですが、結構多くの人で参道は賑わっています。



瑞巌寺山門。



提灯を眺めながら山門をくぐります。



境内には実に多くの碑や、岩壁に掘られた石仏が見られます。
ここでハプニングが!?
デジカメの電池が完全になくなってカメラが使えなくなってしまったのです。
ここから先は、ケータイのカメラを使って撮影することになります。
ただ、ケータイに増設したSDカードへの写真保存設定方が分からず、本体に保存することになります。
このあと写真が何枚写せるか分からないので、写真を撮る枚数を減らすことに。



岩壁に掘られた石仏。
この写真を含めこれ以降は、ケータイで撮影した写真です。



これは滋賀県大津市の石山寺の石仏。
近畿ゆかりの石仏が境内には数多くありましたが、写真に収めたのはこの1体だけです。



境内の折りヅルのモニュメント。
竹には「がんばろう」と刻まれています。



警備員の話では、この辺り一帯も津波で水浸しになったそうです。
それでも見事に復活し、木々の緑が真夏の厳しい太陽に照らされ美しく輝いていました。



自転車タクシー。



瑞巌寺の宝物殿や、瑞巌寺近くにある円通院霊屋などを観て周ります



とにかく美しい緑が印象的でした。
ケータイで何枚くらいの写真を撮れるか分からないので、最小限の撮影にとどめます。



塩竃へ向かうため松島港に戻ってきました。
団体写真を撮っている写真屋さんに依頼して、私達夫婦と二男との3人で記念撮影をしてもらいました。
写真はとってもいい記念になりました。



この舟で塩竃港に向かいます。
ここでケータイのメモリが満杯に。
これ以降の写真は、既に写した写真を1枚消して新たに1枚写すという形を取らざるを得なくなりました。



航海では、カモメにかっぱエビセンをやるのがとってもおもしろかったです。
そんな写真も撮りたかったんですが、消す写真があまりなく追加で写すことを断念。
様々な島を眺めながら塩竃を目指します。



塩竃港に近づきました。
港近くには巡視船の端麗な姿が。
写真を1枚消し空いたメモリ容量を使ってこの写真を撮りました。
ケータイのデジカメは性能は十分なんですが、ズーム機能が付いていないのが残念。
巡視船は「ざおう」だと思われますが、「ざおう」なら船内に本格的な手術台などの医療設備を備えているはず。
本日の写真はこれにて写し止め。



塩竃港では海の幸に舌鼓を打ちながら、頭上高くに見えるイオン2階の駐車場の高さを越える津波が襲ってきた話などを聞きました。
塩竃港から仙台駅に戻り、暗くなってからは仙台七夕花火を桟敷席で心行くまで楽しみました。
ただ、人出が多く桟敷席に行くまでにビールやおつまみを買うことができなかったので、いちど桟敷席に陣取ってから人混みをかき分けて汗だくでビーをや食べ物を何度か買いに桟敷席の外に出かけました。
仙台七夕花火は、近くで見たこともあって最高の迫力。
私がこれまで見た花火では最も素晴らしい花火でした。
次男に心から感謝し、花火大会が終わったあとで向かったホテルで次男と別れました。



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