社会人生活を42年間送り、昨年3月末で定年退職。
定年退職を記念した「卒業旅行」を妻と共にしたかったんですが、様々な事情があり実現できませんでした。

でも、仙台在住の次男がすべてを取り仕切ってくれ、ついに「卒業旅行」が実現。
細かい計画を立て そして全ての経費を出してくれた次男、新婚でなかなかままならない家計の中から餞別やあるいは嬉しいメッセージを送ってくれた長女と長男。
年子3人の子育てを完全に終えた喜びをかみしめる旅にもなりました。

旅は、8月4日(土)から8月8日までの4泊5日。
その第一日目のレポです。

本日のウオーキング歩数、約11,264歩。(うちエクササイズウオーク6,130歩)、消費カロリー298kcal、燃焼脂肪量16.8g。


2012年8月4日(土)




京都駅からリムジンバスで伊丹空港に到着。



時間が少し早いので、搭乗手続きをした後空港の展望デッキへ。



様々な飛行機を眺めます。



新潟に行った時に乗ったのと同じ飛行機が。



飛行機が出発。
横で見ていたお母さんが子どもに「お兄ちゃんが乗っている飛行機が出発するわよ。」と語りかけていました。
一人旅の子どもが乗っているのでしょうか。
そう言えば搭乗も、一人旅の子どもが他の優先搭乗の人と同列に扱われていましたね。



ボーイング737-500に乗り、1時間少しで仙台空港に到着。
震災の津波で何日も孤立した仙台空港建屋ですが、震災や津波の影響は全く感じないまでに復興していました。
仙台の七夕祭りのデコレーションがありました。
勤勉な日本人ですので、震災の復興は苦しいながらもこのように力強く進めることができるはず。
でも、今回の震災の最大の問題は原発破損による大量の放射性物質の拡散。
半減期2万年のものさえ含まれる原発から放出された大量の放射性物質の毒性は、脱原発派だけでなく原発推進派の人々にも数十年先にはその牙を剥いた姿をさらし人々を苦しめるすことになります。



とってもいい感じの七夕飾り。
この空港で、仙台在住の次男と無事に合流。
以下は、3.11震災当日私の掲示板の記述。
年子3人の全員があの震災で大きな影響を受けましたが、幸い全員が無事でした。

>今日は、就活で仕事を休み、一日中筆記試験と面接で過ごした。
>筆記試験は、法律を10近く勉強しなくてはこなせない中身。
>かなり苦戦した。
>でも、以前した仕事の関連なのでさほど抵抗はなかった。
>午後の面接を終え、妻に「終わった」コールをすると、妻は宮城県で超巨大地震が起こったことを知らせてきた。
>我が家の次男は就職した後、宮城県に赴任。
>車で海岸沿いをよく走る仕事をしている。
>加えて。
>見事に転職試験に合格した長男は、3月末までになる退職までの期間を有給休暇で過ごすことになるので、
>その休暇を利用して二男がいる宮城県に行っている。
>巨大地震のことを私に知らせると私が混乱すると思い、妻はメールするのを控えていたようだ。
>しかも、二人と全く連絡が取れず消息不明だとか。
>大慌てで帰宅したが、二人には一向に連絡が取れない。
>長男は今日には東京まで戻ると言っていたが、その確認もできない。
>続々と入ってくる津波の被害報道に心が凍った。
>映像が、車で頻繁に海沿いを走っている長男の姿に関係あるように思えてくるから。
>ずっと電話をかけ続けていて、ついに長男につながった。
>「無事。東京まで戻っている。けがなし。」との言葉を聴き、嬉しくて泣いてしまった。
>でも二男が・・・・・・。




仙台空港の風景。
上の写真の説明の続き。
これも3.11震災当日の掲示板の私の書き込みから。

>ずっと二男に電話をかけ続けていたが、何度かけても「話し中」のツーツーという音が返ってくるのみ。
>最悪の想像をしてしまう。
>胃が痛くなった。
>でもついに!
>電話で呼び出し音が鳴り、「もしもし」という二男の声が!
>無事だった。
>普段は営業で外回りの時間だが、たまたま今日は会社にいたとか。
>二男はけがもなく無事だった!
>ただ。
>避難勧告が出ているので、住まいを出て今から避難所に向かうとか。
>そんなことは軽微なこと。
>無事でいてくれたことが最高!
>我が家の子は、まだそれでも大変なことが。
>東京にいる長女が、身重の状態なのに仕事中に行っていた取引先からのの帰宅途中に身動きできなくなった模様。
>交通機関が動いていないので(次第に動き始めている模様だが部分的)帰宅するにできない。
>そのことはずっとつながらなかった携帯電話が一度だけつながったことで判明した。
>地震の被害全容は全く不明。



仙台空港にある案内版。
次男が仙台に赴任して以来ずっと観光で来たかった、そして震災後の姿を見たかった仙台。
ついにその仙台へやって来ました。



空港まで次男はレンタカーで迎えに来てくれていました。
今日はレンタカーでの行動になります。
仙台駅へ向かう途中で、遅い昼食。
チャーシューがおいしかったラーメンです。



空港から仙台駅に到着。
仙台に着いたばかりですが、今日が一番ゆっくりできるので土産品の品定めをするため仙台駅に来ました。



仙台七夕祭りの美しい飾り。



七夕飾りは、様々な会社や店が提供しています。



仙台駅構内のステンドグラス。



ステンドグラスの前にあった「仙台」という名前の由来の説明板。



赤い色は元気が出る色。



駅の外にも七夕飾りが。



駅をあとにして、次男の住まいへ。
住まいは震災で大きく損傷し、次男は一時期避難所で生活していました。
でも完全に修復され、今はまた元の住まいに戻ることができました。
次男の住まいに寄った後、マカロンを買いに次の目的地へ。
移動途中で、広瀬川に少し寄りました。



マカロンを買うため、多賀城の有名なケーキショップ「カズノリムラタ」に到着。
駐車場に車を駐めると、隣接して「多賀城復興横丁・わいわい村」がありました。
ここは震災被害対策の一環で建設された仮設商店街ですが、設置期間が2年余りしかないのが残念な限り。



夜になりました。
レンタカーをいったん返却し、そして次男の行きつけの店へ。
歓迎メッセージが入った前菜が運ばれてきました。



次から次へとおいしいものが運ばれてきます。



本当に珍味。
私は普段はビール系しか飲まないんですが、日本酒が好きな次男に合わせて少し日本酒もたしなみました。
いい時間が過ぎていきます。



終盤に食べたピザ。
普段食べている宅配ピザとは全く違うおいしさです。
さて、そろそろ宿へ。




念願だった仙台旅行の一日目が終わりました。
仙台中心部の復興ぶりは想像以上でしたが、それは決してたやすいものではなかったはず。
震災当日の状況もつぶさに知っており避難所生活を体験した次男は、「あの震災で考え方が色々と大きく変わった。」と話します。
私が初めて仙台の土を踏んだのは、3年前に次男の仙台への引っ越しの手伝いに伴うもの。

だから仙台に来るのは今回が二回目。
観光と、そして震災後も仙台の地で暮らす次男の生活の一端に触れる今回の訪問は、本当に素晴らしいものになりました。






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