天気予報では、朝夕に晴れ間が広がるという予報。
そんな天気でしたので、夕刻遅くから「おとぎ電車」の遺構を追う4回目のウォークを行いました。
ウォークの内容は、直接「おとぎ電車」の遺構を追うものでなく、旧・志津川発電所前のレールがおとぎ電車のものではないという確認をすること。
そのため、旧・志津川発電所よりも11年早く稼働を開始し現在も稼働している宇治発電所の、流れに面する建物部分にレールがあるかどうかを観に行きました。


本日のウオーキング歩数、19,061歩。(うちエクササイズウオーク14,565歩)、消費カロリー646kcal、燃焼脂肪量39.3g。


2012年2月12日(日)




宇治発電所前に到着。



滋賀県・瀬田川にある石山制水門からはるばる流れてくる水。
発電の役目を終え、宇治川に流れ込みます。



流れのずっと奥に、発電所の建物が少しだけ見えています。
あの建物の流れに面する部分にレールがあるかどうかを、今日は確認したいと思います。



発電所内は立ち入り禁止。



このゲートを乗り越えれば、宇治発電所の建物に行けます。
でも、そういうわけにはいきません。
さて、どうする?



子どものころからなじんでいる土地ですが、意外と足を踏み入れていない場所も多くあるものです。
宇治発電所の建物を見るための作戦はもちろん持っていますが、その作戦の開始前にまず辺りの地理などを再確認することに。
宇治橋へ。



旧・宇治橋の橋脚に水鳥が。



水鳥をズーム。
寒そう。



さて、作戦開始。
発電所からの流れの左岸側から迫ることにします。
興聖寺へ。



夕陽に照らされる興聖寺の山門。



山岳遊撃開始。
まず最初の成果。
宇治発電所の水圧鉄管を発見。
宇治発電所は1913年6月に竣工し、同じ年の同じ年の7月にはもう運用が開始されました。
ということは、この水圧鉄管はほぼ100年間使用されているということでしょうか。



初めて見る宇治発電所の水圧鉄管。
その迫力に息をのみます。



ついに宇治発電所の建物を目にすることができました。
大満足です。



続いて、建物前のレールを発見!!



上のものと同じような写真ですが、貴重な写真ですのでもう1枚。



レール部分をズーム。
あとで分かったことですが、外部からはこの位置からでしかこの角度の写真は撮れないようです。



興聖寺から山道を登り、宇治発電所関連施設へ。



レンガ造りの隧道入口。
内部からは水音が響いてきます。
竪坑から、発電用水の流れに転落する危険性があるので絶対に入ってはいけない施設です。



レトロチックなレンガ造りの隧道。
昔はコンクリートが貴重品だったので、土を焼いて製造できるレンガで造られた構造物が数多くあったのです。



地雷発見!
ゴジラ組正規軍突撃隊・山岳遊撃特殊旅団「のらくろ戦隊」隊員は最大限に警戒せよ。
なんちゃって。
そもそも私ひとりの行動なので、他の隊員に告げる必要はありません。
隧道より標高が高い部分。
この下に導水路が通っていますので、これらの施設は、この位置では暗きょになっている導水路の空気抜き用の穴なのかもしれません。



マンホールのようにも見える構造物。



これっていったい何なんでしょうね。
必要があって造られた物なんでしょうが、用途がまるで分かりません。



先ほどの隧道入口の反対側と思われる隧道入口。



さすがにここまで来る人はあまりいないんでしょうね。
立入禁止の標識はありません。
でも危険性は同じ。
竪坑に転落する危険性があるので、絶対に隧道内部には入ってはいけません。



隧道入口から少し下ると、水圧鉄管の最上部がありました。
ということは、先ほどの隧道は水圧鉄管最上部の端から端までを結ぶラインに掘られたものだということになります。
レンガ造りの隧道は、最もメンテナンスが必要な導水路が水圧鉄管に変わる部分の管理用に造られたのかもしれません。



巨大な水圧鉄管。
写真では確認しづらいですが、5連装です。(専門的には水圧鉄管5本のことを「5条」と呼ぶようですね。)
この水圧鉄管の中を、瀬田川からはるばる11kmもの距離を流れて来た水が通っています。



まだ電気が十分に普及していない大正2年。
営業運転を始めたこの宇治発電所で作られた電気は、京阪電車・宇治線を動かし、宇治に電灯をともし、日本レーヨン(今のユニチカ)の工場誘致の原動力になるなど、宇治の発展に大きく寄与したのです。



水圧鉄管最下部の近くに、建物らしきものがありました。
今はもう使われていないのは、一目見るだけで明らか。



新種の黄色いキノコ発見!
じゃなくって、黄色い作業用のヘルメットがいくつも転がっています。
かなり劣化しているので、最近のものではないようです。



ヘルメットが転がっている位置付近からも、宇治発電所の建物が見えています。



大吉山登山道へ出るため、少しだけ戻ることに。
階段がありました。
発電所建設用の階段の可能性が濃厚。



大吉山登山道に出て少しだけ下ると、もう宇治上神社近く。
宇治上神社近くからも、宇治発電所の建物を見ることができます。



宇治上神社に参拝。
宇治上神社は、世界文化遺産に指定されています。



宇治上神社境内の南側からも、宇治発電所の建物が見えています。
と言うより、この写真の敷地はもう宇治発電所のもの。
上から見ていたら宇治上神社境内のもののように見えた鳥居は、実際には宇治発電所敷地内のものだったようです。



宇治上神社をあとに。



偶然ですが、宇治発電所の建物が実によく見える場所を発見。
観流橋から遠くに見えていた宇治発電所の建物が、こんな所にあったとは。
全く考えてもいないことでした。



以下、非公開となっている宇治発電所の建物。
見たい人のために、写真で公開します。



レールを発見。






冬の夕日に染まる宇治発電所。
建築から100年以上経過しているのに、現役の発電所として活躍しています。
宇治発電所の認可最大出力:32500kWという数字は、黒四発電所の認可最大出力:335000kWと比較するとおよそ10分の1。
でも、大正2年という竣工時期を考えると、先人の素晴らしい技術の高さに驚嘆します。



レール遠景。



宇治発電所のメインの建物は2棟。






レールをズーム。
このことにより、旧・志津川発電所の建物前にあるレールは「おとぎ電車のものではない。」と、今日 断言するに至りました。



吐水路をズーム。
隧道中心の導水路を11kmも流れてきて、そして発電の役目を終えた水。
その水が、ここから観流橋に流れていくのです。
観流橋付近では釣り人を数多く見かけますが、その理由が分かりました。
琵琶湖・瀬田川の魚たちが、直接ここに流れてくるのです。
きっと観流橋付近では、琵琶湖に生息する魚が多く釣れるんでしょうね。



そろそろ帰らねばなりません。
再度、夕陽に染まる宇治発電所の建物を眺めます。






塔の島まで戻ってきました。
塔の島から、観流橋を眺めます。
あの橋の下から宇治川に流れ込んでいる水は、宇治発電所から流れ込んでいます。
そしてその宇治発電所から流れてくる水は、ほんのさっきまで琵琶湖近くの瀬田川にあった水なのです。



観流橋をズーム。
さて、帰路に。



旧・志津川発電所前にあるレールは、「おとぎ電車」の遺構ではないと私は結論付けました。
それでなくともほとんど見つからない、と言うかあるのかないのかも分からない「おとぎ電車」の遺構。
そのひとつかと思っていた旧・志津川発電所前のレールが、実際にはそうではなかったことは残念至極。
でも「違うものは違う」ですので、はっきりできてよかったと思います。

「おとぎ電車」の特集が載っていた「レイル No.78」という本を購入したのですが、遺構探しにはあまり役立ちませんでした。
次に「おとぎ電車が走っていたころ」という本を購入予定ですので、その本なども参考にしながらこれからもまだまだ「おとぎ電車」の遺構探しを続けていこうと思います。

今回の行動は、旧・ゴジラ組正規軍突撃隊・山岳遊撃特殊旅団「のらくろ戦隊」の第2回目の行動となりました。
「のらくろ戦隊」の残党としてこれからもゲリラ的に活動し、ゴジラ組の伝統を守っていこうと思います。
「過去を知る者は今を知る」ですかね。

※ ゴジラ組は、自転車ツアーを中心とした自由参加型銀輪集団でした。
  その中でも、自転車だけでなく過酷な山岳行動をもいとわない精鋭が「のらくろ戦隊」。
  やや大げさなネーミングを楽しみながら、ゴジラ組は緩やかな集合体として自転車ツアーを初めとして楽しく活動していました。
  でもある時、信義を貴しとする私が許容できないことが発生しました。
  それ以来私は、自転車での集団走を行わなくなりました。
  その時に、ゴジラ組は事実上の解散をしたと言えます。
  ゴジラ組が活動を停止して、もう6年以上の月日が流れました。
  でも、ゴジラ組は不滅だし、その歴史を私はこれからも刻んでいくつもりです。


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