今日は仕事の合間の5時間を利用し、山城地方の紅葉の名所である善法律寺に寄ってから「八幡軍人病院」を再訪しました。

「八幡軍人病院」は、ネット上では心霊スポットとして有名。
「二階建てで中にはカルテなどが散乱している。」ともっともらしく説明しているHPもありますが、実はそうではありません。
「軍人病院」を建設過程からよく知る人から詳しく話を聞きましたが、建物は「パゴダ」というインドの仏塔をイメージしたものを造るということで、建設が始まったのだそうです。
ところが、電気が通るところまで工事が進んだところで、資金難で頓挫。
建物は使われることもなくそのまま放置され、今日に至っているとのこと。

かつては、立ち入り禁止の表示はあったものの実質的には自由に訪れることができた「軍人病院」。
でも、肝試しの若者が夜中に騒ぎ立てて近所の人が大迷惑していたことに加え、「軍人病院」を探していた若者が京阪電車の線路に入り込んで電車にはねられ亡くなるという痛ましい事故が起きたため、強固なフェンスが造られ「軍人病院」は完全にシャットアウトされました。

私は今回、関係者の方の了承を得た上で「軍人病院」跡を再訪することができました。
廃墟に近かった「軍人病院」の建物ですが、訪問すると何とすでに解体されていました。
あとは風化するのみ。
今日の訪問で、「軍人病院」の最後の姿を見届けることができました。

本日のウオーキング歩数、21,265歩。(うちエクササイズウオーク15,545歩)、消費カロリー718kcal、燃焼脂肪量42.3g。


2011年12月12日(月)




善法律寺に到着。
紅葉の名所ですが、残念ながら紅葉はもうほとんど散っていました。
今年の秋は暖かかったので、紅葉は全く駄目。
だからこの秋には、私は紅葉をどこにも観に行きませんでした。
この秋に(と言うかもう冬ですが)初めて訪れた紅葉名所が、ここ善法律寺ということになります。



石地蔵さま。



境内には紅葉がほんの少しだけ残っていました。



残っている紅葉を見ても、今年の紅葉はダラダラと色が変わって美しさはいまいちだったことがよく分かります。



それでも何でも。
やはり善法律寺の紅葉は見事。
望遠でしたので写した時には気づきませんでしたが、写真を見るとピントが手前の葉に合っていた方がよかったなと感じます。



善法律寺本堂。
紅葉の綺麗な年には、この位置から見る本堂は最高。



美しい紅葉。
でも、向こう側の紅葉はもう茶色くなっています。



善法律寺をあとにして杉山谷不動尊へ。
平安時代の初め。
人に危害を加えるので人々から恐れられている悪鬼がいることを、諸国を行脚中の弘法大師(空海)が近くを通った際にその話を聞きました。
弘法大師は、自らの法力で悪鬼を封じ込めました。
悪鬼を退治後、その場所に十一面観音菩薩と自身の彫像を刻んで安置し、以後付近の人々を護ったとされます。
深い谷筋に建てられたお堂は、昭和10年8月の大雨による山津波で本堂と観音堂が倒壊・流出してしまいました。
それ以降 不動明王は仮堂に安置された状態が長く続きましたが、昭和47年7月に今のお堂(不動堂)が再建され、そこに安置され今に至ります。



いわゆる「心霊スポット」とされる場所を真夜中に一人で通っても全く怖いと思わない私。
わざわざ行ったわけではないのですが、ウォークや自転車ランなどで たまたま あるいは通る必要があり、何度も「名の知れた心霊スポット」を通ったことがあります。
それも主に夜間に。
でも、怖い経験をしたことなど一度もありません。
ただ・・・・・・・・・。
そんな私ですが、ここ杉山谷不動尊だけはなぜか苦手。
ここではおかしな写真を何度も写したことがありますし、それだけでなく雰囲気がどうもいけません。
でも今は真昼間なので大丈夫。
不動堂の横を流れる谷川には、霊泉瀧(「ひきめの瀧」とも言う。)というものがあります。
そこに向かいます。
引面の瀧にはお瀧場がありますが、その付近を含め杉山谷不動境内ではこれまで様々な事故や事件が起きています。
杉山谷不動境内では、自※者が多いことでも知られています。
清流が流れ綺麗な瀧がある境内なのですが・・・・・。



深く切れ込んだ谷筋の最下部、かつ最下流部。
谷は、「山崩れ等急傾斜地崩壊危険区域」という長い名前の危険地域に指定されています。



お瀧場に到着。



独特の雰囲気が流れるお瀧場。
ここで一晩中滝に打たれる人もいるようですが、私にはとてもそんなことはできません。












脱衣場と言うのではないのかもしれませんが、小さな建物の中。
事実かどうかの確認はしていませんが、少し前にもこの中で自※事件がとあったということを聞いたことがあります。
張り紙を見ると、どうやら不動像が勝手に置かれてそのままになっている模様。



誰が持ってきたのか知りませんが、放置したままの不動像。
物が物だけに勝手に処分するわけにはいかないでしょうから、神応寺の方にとっては迷惑な話でしょうね。
自※者のことといいこの放置された像といい、本来神聖であるべき境内やお瀧場が身勝手な人に何だか蹂躙されているような印象を受け、残念です。



「引面(ひきめ)の瀧」をあとにして、少し標高を上げます。
男山ケーブルの橋脚下へ。
この橋脚はおよそ50メートルの高さがあるとされており、旧餘部鉄橋(高さおよそ41メートル)や新餘部鉄橋(高さおよそ41.5メートル)よりも高く日本一の高さを誇ります。



急峻な危険地に日本一高い橋脚が完成したのは、物資も満足でなかった敗戦後わずか10年しか経っていない昭和30年のこと。
橋脚は完成度が高く、完成から56年を経た今も現役で活躍中。
日本人の持つ技術の確かさに今更ながら驚きます。



急峻な谷であるが故、場所によっては基礎がほんの少し地上に出ている部分もあれば、基礎が5メートルほども露出している部分も。



50メートルもある橋脚。
上を走るケーブルカーは、ケーブルカーと言うよりロープウェイとかゴンドラといった感じがします。
私は何度か男山ケーブルに乗ったことがありますが、乗っている時にいくら注意していても「高さ50メートルの橋脚の上を進んでいる。」と感じたことはありません。
でもケーブルカーの線路を下から見るとこんな風に見えるのです。



道脇には美しい紅葉がまだ残っている所が何ヶ所もありました。
善法律寺の紅葉より、ここ男山の紅葉の方がやや遅かった感じです。



少し標高を上げたこの位置から見ると、男山ケーブル橋脚の雄大さがとてもよく分かります。



少しズームで谷筋を見下ろします。



男山ケーブルの線路が最もよく見渡せる場所に到着。
線路を眺めます。
この線路の橋脚の高さが50メートルもあるとは、一見しただけではまず分からないはず。



晩秋の男山ケーブルの線路。
実にいいものです。



さて本日のウォークのメインである「八幡軍人病院」跡へ。
レポの最初の説明に書いたように、「八幡軍人病院」は軍人病院跡ではありませんし、そもそも病院でもありませんでした。
ネットでは「八幡軍人病院」の他に「海軍病院」「血の病院」あるいは「野戦病院」などとも紹介されていますが、いずれも間違っています。
病院ではなかったからです。
「ビルマ僧院跡」との説明もありますが、私が当時を知る関係者から聞き取りした内容では「インドの仏塔をイメージしたパゴダという建物」とのことでした。
ただ、宗教関係の建物という点では共通しています。
インドの仏塔をイメージしたものなのか、あるいはビルマ僧院だったのか。
そのことを今後、調査を更に進めたいと思います。
この像は、パゴダ跡近くにありますが、パゴダとはおそらく無関係。
なぜなら。
後方に大きな石碑が見えますが、パゴダはあの石碑の向こう側にあり、そして石碑は「紀元2600年」を祝うものでパゴダとは全く無関係。
パゴダと関係あるものなら、この像は当然あの石碑の向こう側に建てられたはずですから。



像をズーム。
手に何か持っていますが、持っている物の先の部分が欠損しており何を持っていたか全く分かりません。
6年前にここに来た時にも、手に持っている物の先端は既になくなった状態でした。
手に何を持っているか分かれば、この像が何であるか特定するヒントになったはずなのでとっても残念。
ネットではこの像に関して、「像に『海軍』の文字が刻まれているので軍人病院とされているのではないか」と記述したものもあります。
もしそうならその説にうなづけるのですが、いくら探してもそんな文字などどこにもありません。
また写真は撮りませんでしたが、像の足元には八卦(はっけ)のような六角形の石柱もありました。
インドの仏塔であるパゴダをイメージして建設された建物と、古代中国から伝わる易の基本図像が刻まれる八卦があるこの像とはやはり無関係と考えるのが自然でしょうね。
もっとも、八卦とこの石像が関係あるものかどうかも不明ですが。



石碑。
「八紘一宇」の文字が刻まれています。



石碑の裏側。
「紀元2600年記念」「海軍大将」の文字が見えます。
おそらくこの文字が元で、パゴダ跡は「軍人病院跡だ」という噂が広がったのだと何となく確信できました。
「海軍病院跡」とも言われますが、それはほぼ間違いなくそういうことだと思います。
また、男山(正式には鳩ヶ峰山)の三角点付近には、旧陸軍と海軍を顕彰する石碑があることや、山を下った神応寺山門近くには重文の「航海記念塔」があることも、「海軍病院説」の噂が広がる原因の一つになった可能性が考えられます。
何の根拠もなく「病院だ」とされていることについて。
前回の訪問で気づいたことの一つに、建物の内部が家屋や別荘などと明らかに異なっていて生活する雰囲気がほとんどなかったということが挙げられます。
また、タイル張りの小さな部屋がいくつも並んでいる跡がかなりはっきりと残っていることも確認しました。
生活臭がない建物で、かつタイル張りの小さな部屋が数多くあるということが「病院だ」との噂が広がった最大の原因の可能性が濃厚。



パゴダ跡が「軍人病院跡」と呼ばれ始めた理由をほぼ解明したので、次は実地調査。
パゴダ跡にやって来ました。
驚いたことに、前回来た時に建物の形は不完全ながらも残っていたのに、今日訪問してみると建物は完全に解体されているではありませんか。



参考写真。
2005年6月に来た時に写した写真です。
少し前までは、こうした形が残っていたのですが。



瓦礫になってしまったパゴダ跡。
京阪電車の男山ケーブル八幡市駅付近からここまでは、以前は階段を上がって来ることが可能でした。
階段入口には「この階段は八幡宮へ行けません。」と書かれており、更に階段を上がりきった場所には
「立ち入り禁止」の看板が立ちフェンスも設置されていました。
でも、「立ち入り禁止」の看板とフェンスの横には回り道があり、事実上ここに来ることはずっとフリーでした。
でも、ここを探していた若者が京阪電車の線路に入り込んで列車にはねられ死亡した事件があり、それ以来物理的に入れないよう強固な柵が設けられました。
でも、夜中に若者がやって来て柵を越えることができないと分かると柵の隣家の敷地に侵入したり、時には家人が寝静まっているのにフェンス近くの家を「軍人病院だ」と勘違いして侵入しようとする者もいたりとかで、近隣の人にとっては大迷惑。
迷惑のあまり、引越してしまった人もいるそうです。
そう考えると、「迷惑を断つのは元から」とここが解体されてしまった可能性大。
解体は致し方なかったのかもしれません。



解体されたパゴダ跡を、詳細に撮影しました。
以下、その写真をどうぞ。



タイル跡。
建物が残っている時にも、タイル張りの部屋が一番保存状態が良好でした。
それもここが「軍人病院」との噂を広げた理由の一つだったのかもしれません。



これは床に穴があいているのではありません。
窓がある壁が倒された跡です。



強固な基礎部分。
仏塔であれば、かなり強固な基礎が必要ですよね。






水洗だったのか汲み取りだったのか分かりませんが、トイレのマンホール跡。
もちろん中には「現物」は入っていません。



建物内に生えた木々に時の流れを感じます。



今は形さえありませんが、前回来た時には各部屋にコンセントが設置してあるのを確認しています。
完成度は高く、私に詳しい説明をしてくださった方は「工事中断までに工事はかなり進んでおり、もう電燈が点く状態になっていた。」と話しておられました。



「いわゆる心霊スポット」を全く怖いと感じない私なので当然なのかもしれませんが、ここが怖いとは全く感じられません。
杉山谷不動でよく感じる違和感なども、ここで感じることは全くなし。
事故や事件が一度も起きたこともないここは、いわゆる「心霊スポット」などということはあり得ないでしょう。









こうしてパゴダ跡は次第に土に戻っていくのんでしょうね。












ボンベかタンクらしき物がありました。



プロパンガスのボンベのようにも見えますが、そうではありません。
これはおそらく灯油のボイラー。



ボイラーらしき物の近くにはこんな物もありました。
水洗トイレなどで補充される水の水量を感知して自動でタンクへの給水を停止させる装置。
やや大きめなので、トイレ用ではなく他の用途だったのかもしれません。



さようなら、八幡軍人病院・・・基!パゴダ跡。



「こもれびルート」にこんな注意書きが。



男山ケーブルの鉄橋が見える場所へ。
ケーブル橋梁の反対側には、男山ケーブルの八幡市駅へ続く線路が見えています。



男山ケーブル近くの紅葉を眺めながら標高を下げます。



今年は紅葉が「外れ」の年のはずですが、とっても綺麗な紅葉が。



素晴らしい!



男山ケーブルの線路のすぐ下を歩いていると、ゴゴゴゴとケーブルが動き出す音が聞こえてきました。
線路がよく見える場所まで戻って、紅葉を背景に進むケーブルカーの写真を撮ろうかと思いました。
でも、そんな時間の余裕がありません。
戻っている間に、ケーブルカーは通り過ぎてしまいます。
そこで踏み跡がある崖をよじ登り、ケーブルカー車体のすぐ下(当然ながら線路の敷地外)からケーブルカーを写しました。
これは男山山上駅へ向かう電車です。



これは八幡市駅へ山を下る電車。
ケーブルカーはなぜか右側通行ですれ違うのですね。



崖の下から手だけを出して写した写真。
液晶画面を見ることができない体勢なので写っているかどうか不安だったんですが、写真はこうしてちゃんと写っていました。



再び杉山谷不動尊へ。
低い燈篭がありますが、ひよっとしたら土砂崩れで流れてきた土砂に埋まってしまった名残なのでしょうか。



橋脚の真下からケーブルの線路を眺めます。
カメラで少しズームしていますので低く見えますが、とっても高いです。



頭上50メートルの線路。
基礎部分だけでも圧倒される高さです。



杉山谷不動尊をあとに。
この看板を見ると、男山ケーブルの橋脚がある谷の地形がいかに急峻であるかがとてもよく分かります。



時刻はもう正午を過ぎました。
昼食を摂るために帰路につきます。
途中で、安居橋(あんごばし)に寄りました。
時代劇の撮影でよく使われる場所です。



久々に八幡でゆっくりと過ごし、八幡を楽しむことができました。




「八幡軍人病院」の正体を解明した気がする今日の歩きでした。
なお、旧軍には陸軍が運営する陸軍病院や、海軍が運営する海軍病院はありましたが、「軍人病院」なるものがあったということは私が調べた限りでは確認できませんでした。
「八幡軍人病院」は存在しなかったし、「八幡軍人病院」とされる建物は病院でもなかったと断言します。

パゴダ跡を「関西最強の心霊スポット」と言う人もあります。
そうした心霊スポットファンの興味対象を減らすようで申し訳ないのですが、パゴダ跡は事件や事故があったわけでもなく病院跡でもありません。
単に山中の廃墟で気味が悪いというだけで、いわゆる「心霊スポット」でも何でもないですね。

ただ・・・・。
宗教に関する施設だということは間違いないのですが、60年以上も前のことなので私が聞き取りした人の記憶通り「パゴダ」なのか、あるいはビルマ僧院なのか。
また、なぜあんな山の奥に像や建物などいくつもの不思議なものが建っているのか。
その二点は今後とも調査継続予定。
だから、今回で私の「八幡軍人病院」を追うウォークが終わってしまったわけでは決してありません。

「駅前再開発で駅前にあった像があの場所に移転した。」「あの場所には宗教公園が計画されていた。」などの情報もあり、その真偽を含め八幡市史などの文献で「八幡軍人病院」とされる場所のことを更に詳しく調査・確認していこうと思っています。
調査結果は、別レポで今後アップ予定。

そうそう。
書き忘れましたが、パゴダ跡がある場所は石清水八幡宮とは全く無関係。
「神様がおられる場所なのに、なぜ心霊スポットという不浄なものがあるの?」なんてネットで質問している人もいますが、その質問の両方ともが間違いです。
なぜなら、あの場所は石清水八幡宮境内ではなく石清水八幡宮とは全く無関係、そしてあそこは心霊スポットでも何でもないのですから。

それにしても・・・・。
八幡って、本当に興味深い地です。



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