昨日から二日間の日程で関東地方へ。
二日目は、埼玉県の吉見町へ「吉見百穴(よしみのひゃくあな)」を見に行きました。


本日のウオーキング歩数、27,312歩。(うちエクササイズウオーク21,393歩)、消費カロリー1,008kcal、燃焼脂肪量60.8g。



2011年11月21日(月)




「アワーズ阪急」をあとにして、上野経由で吉見町まで来ました。
鴻巣駅で下車します。
鴻巣はひな人形と花のまちだそうです。



鴻巣駅前からバスに乗り、武蔵野短期大学前で下車。
吉見百穴(よしみのひゃくあな)を目指します。
百穴は古墳時代末から奈良時代にかけて大和朝廷の勢力拡大に伴い地方に広がった群集墳のひとつ。
その群集墳の最も簡略化された埋葬形態が「横穴墓」で、吉見の百穴はその横穴墓です。
横穴墳は明治時代には先住民族の住居跡などとも考えられており、格好の研究材料としてここ吉見の百穴が注目されていました。
300あまりの小穴が蜂の巣のように露出している様は、「天狗穴」「竜神の昇った跡」「雷様の穴」などとも言われていました。



バス停から少し歩いた右側にこんなものがありました。
「吉見百穴」の一部に思いそうですが、実はそうではないのです。



よく見ると、小さな穴にはバルコニーがついています。
実はここは吉見百穴の一部ではなく、近くに住んでいた高橋峯吉さんという方が明治から大正にかけてノミとつるはしだけで20年間かけて掘り続けて造った岩窟ホテルなのです。
岩窟ホテルの正式名称は「岩窟ホテル高荘館」。
二階建てで地下にはプール状のものまで設置されました。
でも結局、日本初の「岩窟ホテル」は完成せずに今日に至ります。
内部には、岩盤から掘りぬいたテーブルや花瓶まであるそうです。



岩窟ホテル前には公園らしきものがありますが、敷地内は立ち入り禁止になっていますのでもちろんだれ一人いません。
岩窟ホテル。
実は、その名とは違い建設目的はホテルなどではなく大規模な「醸造用の蔵」だったそうです。
「また今日も岩窟を掘ってるな」と散々言われ続けたので、「掘ってる=ホテル。なら、名前をいっそホテルにするか。」と峯吉さんが考えて、岩窟ホテルという名前にしてしまった模様。
大規模な「醸造用の蔵にしよう」と峯吉さんが考えたわけは、峯吉さんが少年のころに穴倉の中で見つけた腐敗したような状態の野イチゴが実は腐敗していたのでなくお酒の匂いをさせて発酵していたからだそうです。
「岩窟なら発酵がうまくいく」と考えたのでしょう。



この窓から白い着物を着た人が「おいでおいで」でもしていたら面白い・・・基!怖いでしょうが、もちろんそんな人などいません。
この岩肌は建築資材にも使われるほど丈夫。
峯吉さんの没後は、養子に入った二代目が「洞窟ホテルを昭和の終わりまで観光施設として営業していました。
探偵ナイトスクープでも取り上げられた施設です。
ところが二度にわたる大規模な崩落が壁面で起こり、危険なため営業が打ち切られ今日に至ります。



百穴温泉のゲートの右側には、岩窟売店があります。
店は閉まっていたし今現在も営業しているかどうかも定かではありませんが、私が訪れた時には軽自動車が店の敷地内から走り去って行きました。
だから、今でも店には人の出入りがあるようです。
この売店の建物は、今でも峯吉氏の子孫が所有しています。
峯吉さんの「岩窟ホテル」建設の跡を引き継いだのは峯吉さんの義理の息子さんですが、その時の義理の息子さんの年齢は既に60歳を越えていました。
峯吉さんは設計図を引いていたので、その設計図通りに敗戦後すぐにノミ一つで何とか「岩窟ホテル」を完成させた峯吉さんの義理の息子さん。
でも峯吉さんの義理の息子さんは、「岩窟ホテル」がほぼ設計図通り完成した後「ホテル」の前に岩窟売店なる施設を造ります。
それは、「私の子どもには、私がしたようなノミで大規模な穴を掘る過酷なことはさせたくない。」との思いからだったとか。
「子を思う親心。時代に無関係で不滅だな。」と改めて感じいりました。
ガイドブックに「奇人」などと書かれたこともあった峯吉さん。
でも、完成した岩窟ホテルには時には幼稚園児の団体見学もありました。
地域の観光スポットとして一定の評価を得ていたと言えるでしょう。



岩窟ホテルのすぐ先にある岩室観音堂へ。
弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4p)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられます。
1590年に豊臣秀吉が関東に出陣した際に松山城の落城に伴い建物の全てが焼失。
現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661〜1673年)に龍性院第三世堯音が近郷の信者の助力を得て裏山にあった松山城の門跡に再建したものと伝わります。
お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしては珍しいものだそうです。



岩室観音の説明。



岩室観音は「比企西国三十三所観音札所」の第三番です。
比企西国三十三所は、遠隔地を巡礼できない人々のために享保8年(1723年)に開設されたと言われており、江戸時代にはこうした地域ごとに完結する札所めぐりが数多く創設されたようです。
また、ここには88体の石仏が収まっていますが、これは四国八十八箇所の霊地に建てられた本尊を模したもの。



岩室観音と石仏の説明。



岩肌に穴を開け観音像を安置し、それを護るように懸造りの観音堂が建てられています。



まず手始めに胎内くぐり。



胎内くぐりを終え、石仏群を眺めます。



石仏群。



石仏群。



ここの石仏群が一番印象的でした。



松山城の説明。



岩室観音をあとにして、吉見百穴に到着。
吉見百穴は日本の代表的な横穴墳群で、史跡にも指定されています。



吉見百穴の説明。



吉見の百穴に入場料200円を支払って入場。
おぉ!
これこそが吉見百穴。



まずは、地下軍需工場跡地へ。
戦時中に、数十基の横穴を破壊して地下軍需工場が建設されました。



驚くほど軍需工場跡は広いです。



私の他に誰も人がいないので、穴が広く深いだけにけっこう不気味。



床が波打っており歩きにくい限り。
なぜこんな波状の床になったのでしょうか?



碁盤状に穴が掘られているため、斜面と平行に歩くと外の明かりが全く見えなくなります。
点灯している電燈の明かりだけが頼り。
電燈と電燈の感覚が間隔が長く、そんな場所では足元がやや見にくい状態。



出口に向かいます。
何だかホッとします。
大規模な地下軍需工場なので、広大な洞窟内全てを見ることはできません。
奥の方は立ち入り禁止になっており、金属の格子で立ち入りできないように柵がされています。
地下工場は、全国から集められた朝鮮人によって掘られました。



百穴がある岩山には散策路が設けられています。
岩山を散策開始。



岩山の山頂付近。
前方の小高い山が松山城跡です。



下山開始。
この写真を写した途端、デジカメの電池が無くなってしまいました。
出発前夜に「そろそろデジカメの電池が無くなる頃だ。」と思い充電しようとしたのですが、充電コードが見当たりませんでした。
「何とか電池が持ってくれればいいけれど。」と思って充電せずに自宅を出たのですが・・・・。
せっかく埼玉県まで来たのに、これはいけません。
吉見百穴の受付まで戻り受付の方に電機店の場所を尋ねると、「ケイヨーデーツーがすぐ近くに。ヤマダ電機は4kmほど離れた場所にあります。」とのこと。
再入場は可能との事だったので、とりあえずケイヨーデーツーを目指します。



ケイヨーデーツーまで行ったのですが、結局私のデジカメ用の電池はなし。
仕方なく数km離れたヤマダ電機まで行きました。
行きましたが、充電池は「在庫がないので取り寄せになります。」とのこと。
「短時間でも充電して何枚かだけでも写真を写そう。」と思って充電器を買おうとすると、「それも取り寄せになります。」。((+_+))
どうしようか迷っていた時にふと目に入ったのが「旅行に最適。電池2枚と充電器つき。1400万画素・光学10倍ズーム。価格12,000円。」の文字。
富士フィルムのデジカメでした。
デジカメはこの夏に新しく買ったばかり。
でもカメラは買ったものの、予備の充電池も充電器も高かったので買っていません。
12,000円の出費はしたくありませんし新しいデジカメは全く欲しいと思いませんでしたが、スペックに見合う価格が魅力的でもあったし、何より充電池2枚には満ではないけれどある程度充電されているとのこと。
結局、そのデジカメを買いました。



ヤマダ電機から再び数km歩き、吉見百穴まで戻ってきました。
百穴敷地内のお店で昼食を摂ることにします。
吉見百穴の受付の方にお願いし、予備電池1枚を昼食時間の間だけ充電していただくことに。
この写真は、ヤマダ電機の方にお願いしデジカメの購入を決めてからレジが終わるまでの時間を使って5分ほど充電したもらった電池で写しました。
新しく購入したデジカメの初写真です。



昼食を終えました。
再び、吉見百穴の探索を行います。
ヤマダ電機で5分ほど充電してもらった電池がまだまだ使えそうなので、そのままで使い続けることに。
吉見百穴を写します。
いい天気。



説明。



何とも神秘的な風景が広がります。












死後の世界。
私は古墳時代の人のこんな考え方が好きです。
って言いながら、古代人のこんな考え方を知ったのはこの時が初めてですが。



ヒカリゴケ自生地。
ヒカリゴケは、ここ吉見百穴で是非とも見たかったもの。



ヒカリゴケ自生地。
なぜか立ち入りできないように鍵がかかっています。



仕方ないので、ヒカリゴケ自生地の穴への進入を阻むフェンスの隙間から写真撮影。
苔らしきものが写っていますが、果たしてこれがヒカリゴケなのかどうか。



吉見百穴をあとにして、次は八丁湖を目指します。
少し歩くと公衆トイレがありました。
その公衆トイレの壁には、何とヒカリゴケの写真が。
これがヒカリゴケだとすると、さっき私が写した写真は間違いなくヒカリゴケ。
ヒカリゴケ自生地の穴の中には何があるか分からずに写真を写したんですが、ヒカリゴケが写っていたとは何ともラッキー!



八丁湖を目指してテクテク。
私の生活圏よりもはるかに味がある風景が広がります。



いいですねえ・・・。
上野から1時間ほどでこんな場所に来れるんですね。






途中で反対側に向かっていることに気づきました。
コースを変更しテクテク。
路傍にこんなものが。



路傍にこんなものがU。



北向き地蔵尊に到着。



さらに歩を進めます。
紅葉が綺麗。



安楽寺までやって来ました。
吉見百穴からここまでは、想像していたよりも長くけっこうな距離がありました。



岩殿山安楽寺。
坂東11番の札所で、古くから吉見観音の名で親しまれてきました。



関東八十八ヵ所霊場なんてのがあるんですね。
初めて知りました。



安楽寺境内にある吉見大仏。



安楽寺をあとにして、八丁湖に到着。
ここまで来たのは八丁湖が目的ではなく、黒岩横穴群なのです。



付近の案内図。



面積が約52,000uの人造沼。
それがこの八丁湖なのです。



八丁湖の周りを、黒岩横穴群目指して歩きます。
京都ではまだ早い紅葉が、すでに見頃。



素晴らしい紅葉。
埼玉の紅葉がこれほど素晴らしいとは。



黒岩横穴群に到着。



黒岩横穴群。
目的地なので目指しましたが、どこが横穴群なのかさっぱりわかりません。



行ったり来たりしながら、やっと横穴群を見つけました。
上の写真の横穴群の案内版の横を上がっていくとよかったんですね。



黒岩横穴墓群の説明。



吉見の横穴群と共に明治時代より知られていた黒岩横穴群。



規模では吉見と全く引けを取らない横穴群。
草木に覆われた分だけ、吉見よりも保存状態がよさそう。



吉見と違って立ち入り禁止で近づけない横穴を、ズーム。



本格的な調査はかなり昔に行われたきり。
私は、未発掘の横穴が数多く存在するここ黒岩横穴群の方が吉見百穴よりも更に興味を惹かれました。



立ち入り禁止ゾーンの奥にある横穴には近づけません。
黒岩横穴群の探索を終え、八丁湖の周囲を更に歩きます。
紅葉が綺麗!



爽やかな風が吹き抜ける八丁湖。
紅葉が最高潮を迎えていました。



新しく買ったデジカメは10倍ズーム。
使用説明書は全く読んでいませんが基本的な操作は何となくできるので、光学10倍ズームの機能を使ってみます。
紅葉をズーム。



持ってきたデジカメの電池が無くなったので、仕方なく買ったカメラ。
でも、かなり素敵な写真が撮れます。



いいですねえ。



今年8月に買ったニコンのデジカメより、この日買った富士フィルムのこのデジカメの方が私が好きな色が出ます。
八丁湖の紅葉。


八丁湖の紅葉



八丁湖の探索を終え、帰路に。
今から、東京の長女に会ってから帰ります。
帰路の道が全く何も分からないので、八丁湖の休憩所におられた二人のお年寄りに「東京に行くにはどうしたらいいですか?」と尋ねました。
二人のお年寄りは、東京までの交通についてそれぞれ説明してくださいましたが、それぞれの意見が違う模様。
そのお年寄りの一人が「あんたは関西弁。どこから来たの?」。
「京都です。」と言うと、「京都のどこから?」。
「宇治です。」と言うと、「懐かしい。私も宇治の大久保にいました。」との予想もしていなかった言葉が。
そして、「駅までのバスはない。私が駅まで送ってあげるわ。」との言葉が。
お言葉に甘えることに。



「駅まで送ってあげるわ。」と言ってくださった方は、肺気腫とかで数分歩いては5分以上の休憩。
結局、見えているその方の自動車まで1時間近くの時間を要して自動車に乗車。
そして。
新しい道ができていたとかで「10分も走れば着ける」とのことだったけど、結局駅まで1時間ほどもかかりました。
まあいいけど、と言うより駅まで送ってくださった方に心から感謝。
ただ時間が遅くなったので、東京の長女と長女の赤ちゃんには少しだけしか会うことができませんでした。
「致し方なし」です。



埼玉県。
そこは私が労働運動を積極的に行っていた頃に、労働運動の一環の活動で一度だけ訪れたことがある場所。
今回、改めて訪問した埼玉県。
その魅力に、初めてゆっくりと触れる旅になりました。
そして、「埼玉県は素晴らしい」と感じました。



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