三連休の初日。
いい季節になったので、山背(やましろ)古道を歩きました。

山背古道は「古来からあった道ではない。単なるハイキングコース。」なんて言う人もいます。
確かに「古道」とは言っても生活道路の路地をつなげた道が中心なので、実際にそうかもしれません。

でも山背古道は「まち探検」ができる道で、周辺の風情も最高。
とてもいい道です。

本日のウオーキング歩数、24,176歩。(うちエクササイズウオーク19,705歩)、消費カロリー902kcal、燃焼脂肪量64.6g。


2011年10月8日(土)




少し前までの暑さが信じられないほどいい季節になって来ました。
ちょっとした風景の中にも秋を感じます。



今日は山背古道の南端を起点に歩こうと思います。
奈良行きの「みやこじ快速」に乗車。
山背古道の南の起点へはJRの平城山(ならやま)駅で下車しますが、「みやこじ快速」は平城山駅に停まりません。
木津駅で下車して、後続の各停電車を待ちます。
ホームから見る思い切りローカルな風景が嬉しい限り。



奈良行きの各停がやって来ました。
次が平城山駅で、平城山駅の次は終点の奈良駅になります。



平城山駅に到着。
駅を出ました。
いい天気!
駅前にこんなのがありました。
これって何だろう?



山背古道の南の起点である上人ヶ平遺跡公園を目指してウォーク開始。
綺麗なコスモスの花が咲いていました。



ズーム。



上人ヶ平遺跡公園に到着。



上人ヶ平遺跡公園は古墳群の中に造られました。
古墳群の説明。



公園内。
かつての建物が再現されているのでしょうか、様々な構造物があります。
予定ではここで昼食を食べるはずだったんですが、奈良線の車内がすいていたので電車の中で昼食は済ませました。
公園内を少し周って、山背古道ウォークを開始しようと思います。






公園内ではこんな古墳を多数見ることができます。



山背古道ウォークを開始。
ガーデンモール木津川前を通過。



ガーデンモール前の街路樹。
少しだけ紅葉が始まっていました。



ガーデンモール横の細い道を下り、山背古道の旧南端近くへ。
この案内板の先に入って行ってはいけません。
舗装路が延々と続き、そして最後は行き止まりになっていますから。
以前山背古道北端からここまで歩いた際、「平城山駅へ近道しよう。」と思って薄暗くなった時刻にこの道に入り、散々歩いて行き止まりだったのでドッと疲れが出た記憶があります。
この先の道は、「左側が斜面」で「右側は線路」で「脇道も何もなし」で「行き止まり」になっているという、全く何の存在価値もない道路。
何のためにこんな物が造られたのか理解に苦しみます。



五領池に到着。
上人ヶ平遺跡公園が山背古道の南の起点になる前は、ここが山背古道の南の起点でした。
山背古道の本格的なウォークは実質的にはここから始まります。



歩を進めます。
半鐘を発見。



栗のイガもはちきれそうになっていました。
こんなものでも秋の深まりが感じられます。



細い路地と白壁の建物。
山背古道の真髄のような風景。



国道24号線近くへ。
木津川市の上水用取水池。
水には大小様々なごみが浮いていますが、それらを取り除き飲用にするとは凄いものです。
こうしたところでも、日本の技術の確かさを感じます。



岡田国神社前を通過。



稲の一部だけが刈り取られています。
一部の稲だけを収穫して全体の収量を推計する手法に「坪刈り」というものがありますが、それでしょうか。
坪刈りは一坪だけを刈りますが、この田んぼでは一列だけが収穫されています。
一列の収穫量で、全体(全列)の収穫量を推計するのかもしれません。



山背古道は本当に素晴らしいと思います。



路地。
それは山背古道のキーワードの一つです。



「木津惣墓五輪塔」に到着。
惣墓は、個人墓が普及する前の葬礼の形態で、共同墓地のようなもの。
重文の「木津惣墓五輪塔」建立の理由は分かっていませんが、木津川の氾濫で亡くなった人々の供養のためだとも言われています。



惣墓五輪塔を守るように建つ石地蔵様。






木津惣墓五輪塔の説明。



天王神社横を通過。
実は今日のウォークに備えてデジカメの電池を充電しようとしようと思っていたのですが、忘れていてできませんでした。
「そろそろ電池が無くなる頃だな。」と思っていたので、この写真を撮ってからカメラを確認すると電池残量が少ないことを示すマークが点灯して点滅していました。
途中で電池が無くなってしまいそうな嫌な予感がします。
いい季節の山背古道ウォークなのでぜひとも写真を撮りながら歩きたいと思っています。
ゆえに、デジカメの電池が無くなったらその時点で今日のウォークは中止しようと思います。



浄土宗の正覚寺へ。



正覚寺境内へ。
山門をくぐったすぐ右側にこんなものがあります。
洪水供養石仏です。
1712年8月に木津川が氾濫し、住民数千人が犠牲になりました。
三回忌の1714年8月、弔いのためにこの石仏が造立されました。



洪水供養石仏の説明。



石仏の顔を見ていると、なぜか心が安らいでくるように思えてきます。



正覚寺をあとにして歩を進めます。
山背古道からちょっぴり外れ、平安時代中期を代表する女流歌人・和泉式部のお墓へ。
和泉式部は木津の出身で、宮仕えの後 木津へ戻り余生を過ごしました。



ひっそりとたたずむ和泉式部の墓所。



平安時代を代表する歌人である和泉式部がここで眠っています。



様々な風景を楽しみながら、自転車道の南の起点に到着。



木津川渡河大作戦開始!
って言っても、ただ泉大橋を渡るだけですが。^_^;



木津川右岸に到着。
泉橋寺山門前にある地蔵石仏の姿が見えています。



地蔵石仏に到着。
驚くほど大きい地蔵石仏です。
地蔵石仏は、「山城大仏」と呼ばれる高さ4.85mの「石造地蔵菩薩坐像」。
自然石花崗岩で出来た巨大なこの坐像は、丸彫りの石仏として日本一の大きさを誇ります。
今は露座ですが、完成当時には立派な地蔵堂がありました。



1295年に地蔵の石材が切り出され建造開始。
13年後の1308年に地蔵堂が完成し、それ以降は堂内に安置されていました。
しかし、1470年頃に起こった応仁の乱が南山城地方まで飛び火し、1471年に大内政弘の軍勢が木津や上狛を攻めて焼き払った時、泉橋寺の地蔵堂も兵火で焼かれてしまい石仏は損傷。
それ以来、地蔵石仏は露座のままになってしまいました



泉橋寺。
残念ながら山門は閉まっています。
山門が開いていたら境内の重文の五輪塔を見ることができるのですが。
裏門は開いていたのですが、生活臭が漂っていたので裏門から入ることは断念。
表門にまわったらこうして閉まっていました。
残念。



泉橋寺をあとにしてウォーク再開。
木津川市山城(旧山城町)「茶問屋ストリート」を歩きます。
この辺りはかつて宇治茶の茶葉の生産と流通の中心地でしたが、それは淀川に至る木津川の水運があったがゆえのこと。
江戸時代末期に神戸港が開港し、山城地方各地から木津川の「上狛浜」があったここに茶葉が集められ、その茶葉が木津川・淀川を経てその神戸港に運ばれるようになりました。
神戸港に運ばれた茶葉は世界各地へ輸出されました。
お茶は当時、生糸と並ぶ日本の代表的な輸出品。
茶の一大集散地だったこの辺りは栄え「東神戸」とも呼ばれたのでした。
生糸と言えば、思い出したことがあります。
奥嵯峨野の「まゆ村」の村長さんが、「日本は生糸で戦艦大和を造ったんや。」っておっしゃっておられました。
その意味するところはまさに、当時は生糸の輸出で外貨を稼いでいたってことなんでしょうね。



国道24号線を横断し、上狛環濠集落へ。
環濠集落の説明。
通称「大里地区」のこの辺りは、中世以来 周囲を堀で囲まれ、長径約600m、短径約300mの楕円形をした環濠集落だったのです。



上狛は、室町時代に興福寺領狛野荘を中心に構成されていました。
大里は狛野荘の「南之荘」の中心集落で、村や畑を堀の内側に置き、土塁を築き竹藪や雑木林を設け その内側に家がありました。



当時の人々は、郷あるいは垣内(かいと)と呼ばれる共同生活単位で暮らし、その当時の名残で今でも「角垣内」等の7つの郷名が通称名になっています。



集落内の公民館。
区ごとだと思われますが、こうした公民館が集落内にはいくつもあります。



大里環濠集落内の大井戸。
何度来てもなかなか見つけることができません。
でも「食料品店」の角を左(西)へ入り、二番区集会所」の西隣。」と覚えておくと比較的簡単に見つけられるかと。
大井戸は「花田さん宅」にありますが、花田さん宅では今でも植え木の水やりなど飲用以外の生活で井戸水を利用されています。
そのことは以前、たまたま外に出ておられた花田さんから直接聞きました。



大井戸のつるべ。
外敵が攻めてきた時に備えての「閉鎖集落」の貴重な井戸が今でも利用されているなんて、何だか嬉しいです。



環濠集落をあとにして山背古道を北上。
上狛小学校横の小さな公園でこの写真を撮り、次に「小林家住宅」に行こうと思っていたのですが、何と。
この写真を撮ったらデジカメからピピッと音がして、液晶画面を見ると「電池の残量がありません」と表示されフリーズ。
まだ歩き始めて3時間も経っていませんが、本日のウォークはこれにてお開きに。
続きは後日歩こうと思います。



山背古道。
歩けば歩くほど、その魅力を深く感じます。
次の続きのウォークがとっても楽しみ。


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