かなり涼しくなりました。
そして迎えた、3連休を控えた週末の金曜日。
とっても元気が出る週末なので、朝と夕方の仕事の合間に宇治公園まで歩きました。
ウォークのメインの目当ては「橋姫神社再訪」。
でも気候のいい季節に宇治公園を歩けば、当然ながらそれだけで帰宅する気にはならず、しっかりと歩きました。

本日のウオーキング歩数、27,237歩。(うちエクササイズウオーク22,970歩)、消費カロリー897kcal。


2011年10月7日(金)




朝の仕事を終え帰宅。
少し休憩してから、宇治公園を目指してウォーク開始。
宇治橋通り近くで石碑発見。
「右 ?」と「右 三むろ」かな。
「三むろ」は三室戸のことでしょうね。
「右 ?」はまさに?です。
何と読むのでしょうか・・・?



古都・京の都と同じく、宇治にはかつて条里制による都市計画が行われていました。
そんな、条里制の名残の道が今も宇治には残っていますので、その道を歩きます。
その条里制名残の狭い道をを歩いていると、こんな風景を見ることができます。
ただ・・・・。
この写真の建物自体は、さほど古いものではありません。
あるいは建て直しをしたものなのかもしれませんが、詳細は不明。



縣(あがた)通りに至りました。
こんな懐かしい建物が。
この建物は民家ではなく、お茶を販売する店の建物です。



橋姫神社に到着。



交通量の多い縣(あがた)通り沿いにある小さな木製の鳥居。
しっかりと探しながら歩かないと、見落としてしまいます。



源氏物語「橋姫」の説明。



橋姫神社の説明。



橋姫神社境内には、水の神である住吉神社と共に橋姫神社があります。



水の神の住吉神社。






橋姫神社。
元々は宇治橋「三の間」に祀られていたようですが、宇治橋西詰に移されました。
その後、明治時代の洪水で流出した際にこの場所に再移転され今に至ります。






橋姫伝説はいくつかありますが、一番よく知られているものは源平盛衰記の記述。
800年代に、公家の娘が深い嫉妬を焼くあまり貴船神社に7日間こもり、貴船大明神に「どうぞ私を鬼に変えてください。ねたみの相手の女をとり殺したいのです。」と念じました。
大明神は、そこまで嫉妬する女をあわれに思い「髪を5つに分けて5本の角にし、顔には朱を体には丹を塗って赤くし、鉄輪(かなわ)を逆さにして頭に載せ3本の金輪の脚には松明を燃やし、口には両端に火を付けて、宇治川に21日間浸れ。したらば願いをかなえる。」と言った。
女はその通りにして、ついに鬼になったのです。
鬼になった女は憎い相手をとり殺し、それにとどまらず次には憎い相手の親類縁者、はては手当たり次第に人々を殺すようになりました。
男を殺す時は女の姿、女を殺す時は男の姿になって人々を殺し続ける鬼女を恐れ、京中の者が夜になると家にこもるようになってしまいました。
そんな頃、一条戻り橋を夜間に通りかかった渡辺綱が、抜けるように色白で20歳くらいの女性を見つけて声をかけたが、その女性はあの鬼女でした。
鬼女に髪の毛をつかまれ空中高くへ連れて行かれた渡辺綱は、刀で鬼の腕を切り落とし地上に落下しました。
あわやのところで綱が落ちたのは北野天満宮の建物の上で、ことなきをえました。
自分が無事だったことを感謝して綱が北野天満宮に石灯篭を寄進しましたが、その石灯篭は今でも北野天満宮境内に残っています。
石灯篭の写真は、以下のレポにあります。
http://godzilla2.web.fc2.com/090214.html



橋姫神社前に奉納されてある千羽鶴。
ものごとを念じて千羽鶴を折りますが、この鶴にはどんな願いが込められているのでしょうか・・・。



橋姫神社をあとに。
神社近くには、宇治七名水のひとつである「公文水」の石碑が。
宇治七名水は、世界文化遺産である宇治上神社境内に今でも湧く桐原水を除いては今はもう枯れてしまっています。
でも、その名水跡には今でも訪れることができます。
七名水跡探索レポは以下。
http://godzillagogo.web.fc2.com/070916.html



宇治川には漁業協同組合もあります。



平等院表参道へ向かいます。
途中にはこんな建物があります。



「ひょっとこ」と「おかめ」。
「ひょっとこ」は、火を起こす時に火吹き竹を吹く顔に似ているので「火男」が語源。
「おかめ」は、頬の張り出しが瓶や甕(かめ)に似ているが語源。
言葉って面白いですね。



「ひょっとことおかめ」がある建物は、寺嶋屋というお店のもの。
寺嶋屋は、ニューヨークタイムスの宇治茶特集で紹介された店で、店内のカウンター席は江戸時代からのものです。



ここはお茶の店の建物ではなく、民芸品を売っているコーナーの建物です。



平等院表参道。
言い季節で好天なのに、人はかなり少なめ。
平日だからでしょうね。



いい雰囲気。
ここの突き当たりは、宇治川左岸堤防です。



抹茶ソフトなどを食べられる店。
庭園コーナーもあり、この庭園に座って喫茶を楽しむこともできます。



宇治川左岸から橘橋へ。



宇治灯り絵巻の灯篭。



橋の上にもずらりと灯篭が並んでいます。



塔の島に渡りました。
朝霧橋を見ます。



カエデの種。
春〜夏には青かったものが、今はもう完全に種子になっています。



朝霧橋へ。
朝霧橋の階段にも、宇治灯篭が。



朝霧橋。



朝霧橋の上にもずらりと灯篭が。
灯篭が一斉に灯りをともすときれいでしょうねえ・・・。
でも「いつでも見れる。」と思うと、わざわざ夜間にやって来てみたいとは思えません。
近くの場所なんて、そんなものなんでしょうね。



宇治川右岸へ。



朝霧橋西詰にある匂宮と浮舟の像。



朝霧橋の下。
橋は元々、主に小学校の通学用にということで建設されたようです。
強度的にはまさに歩行者専用。



右岸の恵心院へ。



僧都恵心は、羅刹谷(らせつこく)に出没していた人食い鬼女「羅刹」が化けた絶世の美女の誘惑に負けずに生還した僧侶。
羅刹谷探索ウォークのレポは以下。
http://gogogodzilla.fc2web.com/060205.html



境内には珍しい3本葉の松の木があります。
この松の葉が3本なのが分かりますか?



まず本堂へ。
線香をお供えします。



恵心院は、「花の寺」とも呼ばれています。
境内は緑であふれています。






境内を周り終わりました。



酔芙蓉。
花が朝は純白、午後になると淡い紅色、夕方から夜になると紅色に変わります。
その様子が、お酒を飲む顔の色と似ていることからこの名前がついたとされています。
さて、境内をあとに。



宇治川右岸を南進し、観流橋に到着。



興聖寺(こうしょうじ)前へ。



引き続き南進。
旧・ゴジラ組正規軍山岳遊撃特殊旅団「のらくろ戦隊」の名誉隊員である亀石君にごあいさつ。
ちわ〜っす!
この亀石は、伏見城に通じる秘密通路の蓋だとの言い伝えも残っています。



かつて宇治川にはこんな奇岩が数多くありました。
でも、宇治川の改修や再開発で奇岩は次々に姿を消し、今はわずかに残るのみ。



更に南進。
新洛撰亭前を通過。
新洛撰亭はもう営業はしていないようです。



天ケ瀬吊り橋へ到着。
以前、吊り橋西詰でたこ焼きを焼いて売っていたおじさんから、いい撮影スポットを教えてもらいました。
そこから撮影。



吊り橋を渡り帰路に。
宇治川左岸を北進し、ここで白川方面へ。
道路の下をくぐります。



白川の里では、稲穂が豊かに実り首を垂れています。



な、何だね君は!?^_^;



今年の稲の出来具合は良好のようです。
放射能で汚染された被災地に思いが及びます。
必死に栽培してきた作物が放射能汚染してしまった農家の人達の心情を、クソ東電の役員連中はどう考えているのでしょうか。



金色院があった当時は賑やかだった白川の里は、今は実にゆっくりと時間が流れるのどかな里です。



小柄で色が白く、リンゴのようなほっぺをしていた1歳年下のkちゃんの実家。
今頃、kちゃんはどうしているのだろう・・・・。(遠い目)
おばちゃんになってしまったのかなあ。
一度会いたいけど、会わない方ががっかりしないだろうなあ。
え?「他人のことが言えるか。自分のことを考えろ。」ですって。
ごもっとも。



もうススキの穂が。
秋ですね。



ザクロの実ももう色づいています。



白川の里。



白川の里。



白川の里。



太陽が丘前ゲート通過。
暑く苦しかった夏のバイトの日々を思い出しました。



凄いバス時刻表。
バスが一日に2本しかありません。
もっとも、目的地には直通でなかったらいくらでも行くバスがあります。
さて、午後の仕事に備えて早く帰宅して昼食にしようっと。
平日なので、家には私一人。
今日の昼食は何にしようかなあ・・・・。
いずれにしても自分で作らなくてはなりません。



平日でも勤務と勤務の間に5時間以上の空き時間があります。
それをいかに有効活用するか。
うまく活用できたら、生活の質が高くなると思います。
工夫しなくては!


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