梅雨の中日と言うのか「梅雨はどこに行った」と表現したらいいのか、とにかく暑くて雨も降らない日々が続く。
湿気だけは一人前に多い。
今日は宇治橋通りに用事があったので、トレーニングウォークを兼ねて夕刻に宇治公園まで歩いた。

本日のウオーキング歩数、約20,000歩。(万歩計行方不明中)。

2011年6月27日(




朝の仕事を終え、5時間半もある長い「中間休み」。
その後、午後の仕事に行き帰宅。
玄関先の植木鉢で咲くハイビスカスの花を眺めます。



用事があるので、ウォークで宇治橋通り商店街へ。



宇治橋通りで新しく開店した店。
一度利用したいと思っています。



宇治ではかつて、京の都と同様に条里制の都市計画が行われていました。
この道は、その頃の名残。
道幅は1メートルもありません。



この道も条里制当時のもの。
道幅が広いので、メインストリートだったのでしょう。



条里制当時のメインストリートを東進し宇治川方面へ進みます。
縣(あがた)通りへ突き当たりました。



橋姫神社へ。
橋姫は、宇治から貴船神社まで夜ごと訪れ、現在伝わる丑の刻参りと似た方法で願をかけて鬼になり、その願いを成就させたとされています。



橋姫神社。



宇治橋西詰は、楽しげな場所がたくさんあります。



平等院表参道の入り口。



宇治橋西詰の紫式部像。



平等院表参道へ。






同級生の実家。
同級生はいつもニコニコした可愛い女学生でした。
今、いったいどうしているんでしょうか・・・・・。



宇治橋左岸から橘橋へ。



朝霧橋が見えています。



宇治川先陣の碑。
古代より水陸交通の要衝であった宇治は、幾多の合戦の舞台となってきました。
中でも、1184年の木曽義仲と、朝廷から義仲追討の任を受けた源義経の戦いは有名。
この碑は、その戦いちなんで、昭和6(1931)年に建立されました。



碑の説明。



宇治川右岸を望む。



塔の島の十三重の石塔。
藤森神社の手水鉢の台石が、この浮島の十三重の石塔の石だとされています。
石川五右衛門がこの石塔の上から5番目の石を盗み出し、そのため石塔の上から5番目の石は色が違うとの説明書きが、藤森神社境内にあります。
でも私には、何度見ても上から5番目の石は色が違うとは思えません。



右岸の観流橋をズーム。



歩行者専用橋である「あさぎり橋」へ。



朝霧橋。



宇治川右岸に到着。



宇治神社前へ。



鳥井横に何やら新しい説明書きが。



この楠の巨木は「兎楽の樹」という名前がついているようです。
初めて知りました。
かつて宇治を訪れた春さん夫妻の奥さんから、「なぜここに兎があるの?」と尋ねられ答えられなかったことを思い出します。
こんな理由があったんですね。



境内にはウサギの手水が。






宇治川右岸を北進。



離宮水。
宇治七名水の一つで、かつては離宮明神・離宮八幡とも、離宮下社とも呼ばれていた宇治神社の脇から湧きだしていることから、離宮水の名が付けられました。
ただ、今ここから流れ出している水自体は離宮水ではなく水道水です。



宇治茶手もみ西方の説明。
さて帰路に。





風光明媚な宇治。
季節を問わず素敵です。



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