退職を控えて3月はバタバタし、そして3月末で退職し4月になってからは新しい仕事のことや、家族の入院などでバタバタ。
そんなこんなで、ずっと中距離以上のウォークができませんでした。
今日は、久々の中距離ウォークを行いました。
膝の負担を考え、行ったのはノルディックウォークで、コースは蹴上〜浜大津。
初夏の一日、素晴らしいウォークを楽しみました。

本日のウオーキング歩数、35,283歩。(うちエクササイズウオーク13,017歩)、消費カロリー1,121kcal。



2011年5月5日(木)




地下鉄東西線で蹴上に到着。
「確か蹴上浄水場が一般公開だったはず」と考え、浄水場を見るとやはり公開中。
さっそく入場。



蹴上浄水場構内から、道路を挟んだ向かい側のインクライン(傾斜鉄道)跡を望む。



ミストクーラー。
単なる上水の霧なのに、そのひんやりと冷たいことに驚きます。



この時期に浄水場が公開されるのは、ツツジがちょうど花盛りになるため。
でも今年はツツジの開花が遅く、まだ三分咲き程度。
でも木によってはこのように美しく咲き誇っているものもあります。



ごくありふれたツツジですが、でもとってもきれい。



蹴上浄水場は、琵琶湖疏水の完成と共にその歴史を刻んできました。
だから、かなり古い施設が今も残っています。



少し標高を上げると、南禅寺界隈が見えてきました。



構内のソーラー発電装置。
原発の存在が人類にとって致命的な事態に至ることが日本でも明らかになった今、天候に左右される不安定さがあり発電量も少ないけれどこうした太陽光発電はもっともっと見直され活用されなくてはなりません。



ソーラー発電の状況が目で確認できます。



驚きました!
黄色いツツジの花が咲いていました。
初めて見ました。
黄色れんげつつじ (黄色蓮華躑躅)という種類のようです。
花言葉は「情熱」。



例年なら、このツツジはほぼ満開なんですが・・・・。
と言っても、私は蹴上浄水場の一般公開に来たのは初めて。
でも毎年ほど、向かいのインクライン側から眺めています。



このツツジもどこにでもある花ですが、それでもとってもきれい。



浄水場の風景。



きれいな水が流れています。



蹴上浄水場をあとに。
第二疏水の水を利用して発電が始まった第二期蹴上発電所の建物前へ到着。
蹴上発電所は、日本で最初の商用発電所。
第一疏水の水を利用した第一期蹴上発電所は、第二期発電所の稼働を待って廃止され建物も撤去されました。
対してこの第二期蹴上発電所は、現在の蹴上発電所が稼働してからは廃止されたものの、建物は当時のままです。
ただし内部は、戦後の一時期に京都大学が放射線研究施設として使っていたため、発電所当時の姿とは大きく変わっているようです。
この建物は一般公開されていないので、内部を見ることは残念ながらできません。



インクラインへ。
復元されたインクラインの台車と舟。



水上輸送の跡を今も伝える台車と舟。
急坂を、舟はこの台車に乗せられて上ったり下ったりしていました。



インクラインの線路跡。
左側の遊歩用敷石は、廃止された京都市電の敷石が再利用されたもの。



琵琶湖疏水公園へ。
琵琶湖疏水の説明書きを読みます。
琵琶湖疏水は史跡に指定されていますが、でも「跡」ではなく、現役で利用されています。



清冽な水の流れ。



ねじりまんぽを造り、琵琶湖疏水やインクライン、それに疏水の水を利用した発電所などの設計も行った田辺朔郎氏の像が、琵琶湖疏水公園内にあります。
市民の寄付で建てられた像です。



導水管。






疏水分線。
鴨川の流れと逆に流れ、南禅寺の水路閣の流れになる水です。



山ノ内浄水場導水管。
ダクタイル鋳鉄管で、強度と耐久性があるためほとんどの水道管はこのダクタイル鋳鉄管が使われています。
ちなみに、この山ノ内浄水場導水管は直径が1.65メートルもあります。



少し前かがみになると導水管の中に入ることもできます。



導水管の説明。



牛若丸ゆかりの大日如来。
この付近で、奥州へ金売り吉次と共に向かう牛若丸に、馬に乗った9人の武士が泥水をかけてしまいます。
しかもその武士が平家の者だと知った牛若丸は激怒。
平家の侍を全員斬り殺してしまいます。



9人の平家の武士を切り殺した後、冷静になった牛若丸はその行為を深く反省。
切り殺した侍の数と同じ9体の石仏を造ります。
しかしその後 石仏は散逸し、今でも残るのはこの1体のみ。
山科には、その際に牛若が刀の血を洗った「血洗い池」が今でも存在し、血洗い池の姿は山科の京都薬科大学のグラウンドから見ることができます。
そして、その付近の地名は何と「血洗い町」。
その「血洗い町」という地名は「不動屋さん泣かせだ」と新聞で読んだ記憶があります。地名が血洗い町だと不動産が売れないからです。不動屋さんは血洗い町の物件案内の際、「血洗い町」という地名の前に「歴史的に伝わる話に由来する地名」との注釈をつけています。
この地の蹴上という地名は、平家の武士が乗った馬が泥を蹴上げたことに由来するとされています。



義経大日如来の文字。
この如来が牛若丸由来のものだと知る人は、ごく少数です。



疏水記念公園にあるインクラインの台車と舟。
再現された物が老朽化したので、最近また新しく舟が復元されました。



九条山浄水場ポンプ室。
第二疏水の建設に伴い、京都御所へ送水するための「御所水道ポンプ室」として1912年に完成。
大正天皇が疏水を舟で下って視察する計画があったため、疏水に面した側に立派な玄関が設置され、更に豪華な装飾が施された立派な建物となりました。



日向(ひむかい)大神宮へ。



日向大神宮の外宮に到着。



外宮から内宮へ。
橋を渡ります。



内宮。



内宮横から「京都一周トレイル」に入ると、すぐに「天の岩戸」に到着。



天の岩戸に入ります。



「天の岩戸」内部
短いので、懐中電灯などの照明は不要。



「天の岩戸」内部は、L字型に曲がっています。
入り口から入って突き当たると、こんな物が。




突き当たりをL字型に曲がると、すぐに出口が見えてきます。



出口から出て、天の岩戸内部を振り返って見ます。



天の岩戸から先は、かなり急な傾斜。
汗だくで上り、そして急な下りを下りきり少し進むと、「たたら遺跡」に到着します。
ただ、道沿いのこの道標はとっても地味で見にくいため、ほとんどの人がここに「たたら」があったことを知らずに通り過ぎていきます。



ここが「たたら跡」だということを示す、古代製鉄法で出た残さ。
溶けた鉄が混じる石はずしりとした重みがあります。



「たたら遺跡」をあとにして更に前進。
程なく春秋山荘が見えてきました。



春秋山荘は蕎麦どころ。
「雰囲気も一緒に味わえる」と評判高いお店です。



山科聖天に到着。



境内へ。



山門をくぐりお参りします。



山科聖天をあとにして、次は隣接する毘沙門堂を目指します。
新緑のトンネルが実に素敵。



急な階段を上って毘沙門堂の山門をくぐります。
蹴上から山越えウォークをしてきて毘沙門堂の急階段を上がると、脚がだるくなりました。



毘沙門堂へ。



お参りをします。



本堂入り口横には色鮮やかな皐月の花が。



お参りを終え、山門をくぐります。



階段脇の、美しいカエデの新緑。



蹴上で別れた疏水沿と、再び出会いました。
第一疏水沿いに建つ「母子地蔵堂」。
疏水が完成した当時は柵などの安全設備がなく、疏水に落ちて命を落とす子どもがいました。
それを憂い、子どもを守るために造られたのがこの母子地蔵。



雄松(近江舞子)の石を使って彫られた母子地蔵尊。
疏水転落による子どもの犠牲を憂う近所の人達二十余名が話し合い建立したもの。
今も子ども達を見守ってくださっています。



転落事故が頻発した第一疏水沿いには、今では全線に安全柵が取り付けられています。
安全柵の設置によって安全性は格段に向上しましたが、それでも疏水そのものの危険性が軽減したわけではありません。
そのため、今でもこうして緊急事態への備えが行われています。



安朱橋(4号橋)の上から見る第一疏水の流れ。
写真左上に小さく写っているお堂が母子地蔵堂。
母子地蔵尊近くのベンチで昼食を摂ることにします。



「国鉄」の文字が・・・・。
「国鉄」とは何とも懐かしい響きの言葉です。



新諸羽舟溜まり。



新諸羽舟溜まりから琵琶湖方面へは隧道があります。
その隧道の真上には大きな家が。
安全面では特に問題がないんでしょうね。



新諸羽舟溜まりの隧道ができるまでは、第一疏水はここを流れていました。
疏水跡は今は遊歩道に変わっています。



山科市街地。
京阪電車が見えています。



第二疏水トンネルの試作物。



試作物の説明。
以前はこんな説明はなく、一部で「第二疏水の試作物らしい」と言われていただけでした。



隧道の反対側に到着。
四宮舟溜まりです。



一燈園。
一燈園の正式名称は「財団法人 懺悔奉仕光泉林」。
10万坪の敷地に200人以上が共同生活をしています。



下流と比べると疏水幅が少し狭くなってきました。



「撮り鉄」には嬉しい場所。
鉄道写真を撮るのにうってつけの場所なのです。
上がってみることにします。



サンダーバードを撮りたかったのですが、行ってしまった直後でした。
仕方なく、東海道線の普通電車を撮ります。



陸橋を下りて再び前進。
疏水と道路とが離れてきました。
間もなく疏水は隧道になります。



疏水が隧道になりました。
全長2,436メートルの第一隧道です。
大津市藤尾奥町字大谷のこの隧道の向こう側は、三井寺町字筒井でそこはもう琵琶湖岸です。



疏水の流れと別れて歩を進め、藤尾奥町へ。
疏水の流れと別れてしまいましたが、実はその疏水は足元地下深くに流れているのです。
民家の庭先からしか見ることができない、第一疏水の第二竪坑。
この下に第一疏水が流れています。



深さ22.5メートルの第二竪坑は、とても分かりにくい場所にあります。
民家の庭先に入り込まないと見ることができません。



普門寺に咲く美しい山吹の花を眺めながら、小関越えに入ります。



小関越えの西側にあるお堂。






普門寺境内に咲く山吹の花をズーム。



小関越えの途中にある、琵琶湖第一疏水の第一竪坑。
進入路らしきものを造る工事が行われていました。
ずっと立ち入り禁止だったこの場所が、ひょっとしたら一般公開が行われるようにでもなるんでしょうか。



近づいてみます。



どっしりした風貌の第一竪坑。
中は全く見えていませんが、深さは47メートルもあります。



第一竪坑をあとにして小関越えを登りきりました。



小関越えは上がりきりましたが、まだ標高を上げます。
峠にある喜一堂横の山道を汗をかきかき登ります。
目的地はこの鉄塔。



鉄塔の北東斜面に、こんな物があります。
これは琵琶湖第一疏水の測量標石です。
正式な名前は「几号水準点」といい、第一疏水を造る際にまず高低測量をするために造った目印の石で、いわば「琵琶湖疏水建設の原点」。
この測量標石の真下を琵琶湖第一疏水が流れています。



測量標石を見たので、琵琶湖側へ下り始めます。
喜一堂前を通過。



ほぼ下り終えました。
等正寺に到着。
ここ等正寺は蓮如上人ゆかりの寺。
境内では何と!スイーツを販売しています。



境内の石碑。



等正寺から少し下った場所にある石碑にも蓮如上人の名が刻まれています。



長等神社前へ到着。



この楼門は大津市指定文化財です。



三井寺観音前を通過。



再び琵琶湖第一疏水と出会います。
第一隧道の琵琶湖側です。



第一疏水の取水口付近。
大津制水門です。



美しい琵琶湖第一疏水の流れ。



大津閘門とそのシステム。



別角度からズーム撮影。
閘門の扉の開閉は手動式でしたが、それでも当時としては閘門を開閉させる技術は世界最新の画期的なものでした。



その名もロマンチックな北国橋へ。
琵琶湖はもう目と鼻の先です。



素晴らしい風情の第一疏水沿い。



ほぼ歩き終えたので、ノルディックウォーク用のポールを格納します。



京阪電車が前方を通過。



琵琶湖岸に到着。
まずは、第二疏水の取水口を目指します。
路傍に石仏群がありました。



琵琶湖第二疏水の取水口。
発電に加え上水の確保が主目的のひとつだった第二疏水は、水質保全のためほぼ全線が隧道か鉄筋コンクリートの埋立てトンネルになっています。
ゆえに、ここから取水された水は、第一疏水の北側を全線暗渠で蹴上までの約7.4kmを流れることになります。



第二疏水の取水口。
大きな物の流入を防ぐため、柵が設けてあります。



第二疏水と第一疏水の間の琵琶湖岸・三保ケ崎には、こんな小さな緑地があります。



今の京大(当時の三高)ボート部の本拠地があり、風光明美な琵琶湖畔・三保ケ崎にある「われは湖の子」の歌碑。
縦2.2m、横3.5mの石に白文字で「われは 湖の子」と刻まれています
ネット上では「現状非公開」とも書かれたりしていますが、出入り自由な小さな公園(緑地)内にあり見学することができます。
歌碑に記されている歌は、もちろん「われは海の子」などではなく、旧制三校寮歌「三高琵琶湖周航の歌」です。



緑地内には、琵琶湖周航の歌詞全文が刻まれた石板もあります。



歌碑完成を記念した石碑。



三保ケ崎の緑地内から見る琵琶湖の風景。



第一疏水の取水口。



琵琶湖第一疏水の取水口付近は入り江になっており、ヨットクラブとして利用されています。。



琵琶湖岸へ。



琵琶湖花噴水の水しぶきで虹が!



浜大津港には外輪船「ミシガン」が出航を控えて停泊中。



学習船「うみのこ」。
滋賀県内の小学生は、5年生になるとこの「うみのこ」に乗船して宿泊型体験学習をします。



「うみのこ」の側面に描かれた「Mother Lake」の文字と琵琶湖。



船を係留するアンカー。



浜大津港には様々な船が停泊しています。



消防艇。



消防艇の放水銃。
放水銃の前で仁王立ちになり、悪人をやっつける渡哲也が素晴らしかったテレビ番組は「西部警察」でしたね。
今、渡哲也にこの放水銃で一番やっつけて欲しいのは、退職金の返上を一切言わない東電の役員連中。
東電は、電気料金の値上げと税金の投入で原発「事故」の補償を行おうとしているようですが、厚かましいにもほどがあります。
東電現役員は、これまでに受け取った報酬の全額返納と、そして退職金を今後一切受け取らないと明言すべき。
東電役員は、自分たちの無責任体質で引き起こした原発事故なのに、その事故で避難所暮らしを余議なくされている人達以上の生活をしていることに胸が痛まないのでしょうか。
おそらく、痛まないのでしょう。
最低でも「退職金は受け取らない」と明言することこそ、人間としての心があるということをを示すことなのに。
東電役員は私利私欲しか考えない鬼なのでしょうか・・・・。



沖にのびる遊歩道。



遊歩道へ。



遊歩道最先端。
琵琶湖花噴水がとてもよく見えています。



沖合をビアンカが通過。
どうやら、中距離航海から戻ってきたようです。



遊歩道からは、停泊しているヨットがかなり近く見えます。
ふと、堀江健一さんの「太平洋一人ぼっち」のマーメイド号を思い出しました。



浜大津港をあとにして帰路に。
京阪電車・石山坂本線の線路。
今は京阪電車の線路になっているこの線路は、旧馬場駅(現膳所駅)〜旧大津駅間は旧東海道線の大津支線と、そして京阪電車の石山坂本線の前身である当時の大津電気軌道とが、路線を共用していた時期もあったのです。



踏切付近の石仏群。



JR大津駅に向かう途中で見たモニュメント。



更に、こんなきれいな牡丹の花が咲いているのも見つけました。
さて、帰宅を急ごうっと!


4ヶ月ぶりに行った中距離ウォーク。
いい時期のウォークだったこともあり、最高でした。
ノルディックウォーク用のポールを利用したので、膝の違和感もほとんど感じないとってもいいウォークになりました。



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