今日は、私の社会人生活の最後の日。
42年間の長きにわたった私の社会人生活が、今日で幕引き。
「第二の人生」って言葉で表せばたった5文字ですが、でもその意味するところは極めて大きいことを実感。
寂しくなりますが、でも明日からまた私は新しい仕事に就きます。
新しい出会いを楽しみにしながら、「第二の人生」をスタートさせようと思います。

本日のウオーキング歩数、18,073歩。(うちエクササイズウオーク12,340歩)、消費カロリー722kcal。


2011年3月31日(木)




40日間近く残っている有給休暇は退職する日に全て捨てることになります。
退職までに1日でも有給休暇を多く消化したいので、数日前から休暇を取得。
だから朝からお散歩。
宇治橋通りをテクテク。
それにしてもいい天気!



炭火焼のウナギを売っている店。
スーパーで買うよりやや割高ですが、それでも最高においしいウナギがこの店で買うことができます。



宇治川左岸に到着。
橘橋を渡ります。
橘橋の上から北方向を望む。



塔の島のシダレザクラ。
三分咲きといったところでしょうか。



とってもきれい!



宇治川右岸に向かいます。
朝霧橋へ。






宇治川右岸の朝霧橋東詰。
少しだけサクラの花が開花しています。



場所によっても違いますが、ソメイヨシノはちょうど花が咲き始めた状態。



恵心院へ。



恵心院は人々から「花の寺」と呼ばれています。
境内には美しい花が。



ズーム。



境内のサクラの花が春の陽を浴びて輝いてます。



ズーム。






水仙も花盛り。



ズーム。



恵心院をあとにして再び宇治川右岸へ。
朝霧橋を下から眺めます。



美しい朝霧橋。



朝霧橋西詰め。
正面に見えている瓦屋根は、世界文化遺産である平等院の鳳凰堂。



塔の島のシダレザクラ。
三分咲きといったところです。



ズーム。



喜撰橋へ。
塔の島から宇治川左岸へ戻ります。



帰路につきます。
帰宅途中で縣(あがた)神社へ参拝。



境内にある梵天(ぼんてん)。



縣神社境内のシダレザクラ。
あと4〜5日くらいで見ごろを迎えそうです。



帰宅完了。
我が家の花を眺めます。
このラナンキュラスの花は、青谷梅花まつり会場で購入したもの。
花がとってもきれい。



庭に咲く黄色の水仙の花。
これもとってもきれい。



夕刻になりました。
最後のお別れのため、4年間勤務した学校へ。
春の午後、柔らかい夕陽を浴びた運動場。
私の最後の職場となった学校の運動場です。
退職直前の最後の4年間、この運動場で走ったりサッカーをしたりブランコをしたり・・・・・・・・。
でもそんな生活も、もう今日限りで終わることになります。



私の教室に向かいます。
この風景も今日が見おさめ。



廊下の掲示物。
「さいごのまとめ」ねえ・・・・・・・・・・。
私は結局それをせずに退職。
まあ いいか。



私の教室に到着。
教室内は終業式の日の午後にワックスがけをしたので、廊下に机といすを出してあります。
もうワックスは乾いているのでこれを教室に入れなければ。



教室内へ。
社会人生活の最後の4年間を、私はここで過ごしました。



教材。
これでみんなといっしょに勉強してきたねえ・・・・。



教室内の畳コーナー。
ここで遊んだり体操したり寝転がったり、そしてこの机で勉強したり。
私が教室内で一番好きだった場所です。



教室内。
トランポリンや滑り台があります。
もうお気づきかもしれませんが、私は特別支援学級の担任でした。
学校の教師に転職してから32年間のうち後半の22年間を、一貫してずっと自らの希望で特別支援教育を担ってきました。



デスク。
プリント類の丸つけしたり、あるいは事務をしたり、時には膝に乗ってくる子どもをだっこしたり。
様々な用途で使っていました。
時にはここに座り込み、ずっと悩んでいたこともありましたねえ。



終業式の前日に書いた板書。
この連絡が、教師生活の中で一番最後に書いた板書となりました。



教室内へ机を運び入れました。
教室らしくなりました。



別角度から。
さようなら、愛しい子ども達。
新年度になったら君達はひとつ上の学年になります。
新しい担任の先生といっしょに頑張るんだよ。



教室をあとにします。
私は明日からここに来ないんだ、来てはいけないんだという実感が全くありません。
でもそれは動かしがたい事実。
この教室は明日からは私の教室ではなくなるのです。



さようなら・・・・・・・・・。



教室を出ました。



いつまでもここにいたいんですが、でもそういうわけにはいきません。
消灯。
私の教室と最後のお別れをする時間がついにやってきました。



戸を閉めます。



施錠。
さようなら、子ども達よ、教室よ・・・・・。



この廊下を私は一体何回歩いたんだろう。
でも私がこの廊下を歩くことはあと1回、明日の離任式で。
離任式が終わったあとは、おそらく私は今後もうこの廊下を歩くことは二度とないでしょう。



もう二度と使うことはない教室の鍵を、丁寧に職員室の鍵かけに戻しました。
次に学級園とお別れ。
学級園にはきれいな水仙の花が咲いています。
昨年の秋に球根を植えました。



栽培しているニンジン。
あと少ししたら収穫できます。
4年前に私が引き継いだ時には、学級園はずっと放置されていたのか作物が育つとはとても思えないカチカチの固い土でした。
土作りに励み、その結果 他の先生方から「いつも立派に作物が実っていますね。」と声をかけられるほど作物が立派に実る土になりました。
その土はもちろんホクホクの柔らかいもので、今では多数のミミズが生息しています。
ここは今では、ミミズちゃん達のおうちでもあるのです。
私が子ども達と共に慈しみ心をこめて世話してきた、この学級園とももうお別れ。
ミミズちゃん、これからもいい土作りに励んでね。
ミミズちゃん達さようなら〜、達者でな〜。



学校をあとに。
帰宅する前に、ずっと私の心の支えになっていた石清水八幡宮に寄ります。
泰勝寺(たいしょうじ)前へ。
松花堂昭乗の墓所があるお寺です。



相槌神社。
石清水八幡宮と何となく関係がありそうですが、今は石清水八幡宮との関係は明らかにされていません。
地元の人達が守っている神社です。



男山登山開始。
つまり、石清水八幡宮の上院への参拝開始です。



小社。
ここを右折して、石清水社前を通るコースへ。



「駒返し橋」と刻まれた石。



駒返し橋を渡り、更に標高を上げます。



松花堂跡地へ到着。



「史跡 松花堂およびその跡」と刻まれた石碑。



松花堂跡地。



更に登り、石清水が湧いている場所に到着。



石清水社。



石清水。



石清水の説明。



展望台に到着。



展望台で日没を迎えました。



展望台にある文学碑。



谷崎純一郎文学碑の説明。



時刻はちょうど午後6時。
勤務時間が終わったので、私はもう教師ではなくなりました。
42年間の公務員生活がついに終わりを迎えました。
上院の門が午後6時に閉まってしまったので、門前で参拝。
男山と石清水八幡宮は、現職時の私の心の支えでした。
心をこめてお参りします。
おかげ様で無事に定年退職を迎えることができました。
本当にありがとうございました。



手水。



石清水八幡宮の上院をあとにします。



表参道を下山。
「お疲れさまでした」と自分で自分をほめたい気分。
帰ったら冷たいビールで喉を潤そうっと。
勤務時間が終わり無事に定年退職を迎えたことをメールで妻に報告。
するとすぐに返信がありました。
「長い間、お疲れさまでした。これからいよいよ第二の人生の始まりです。健康第一で、頑張っていきましょうね。」との返信メールを読み、思わず目頭が熱くなりました。
年子3人の子育てをはじめとして、妻には本当に苦労をかけっぱなしでしたから。
妻は結婚してから今日に至るまで、一度たりとも収入から自分の小遣いを計上しませんでした。
「自分のことは二の次」で生活してきました。
妻には散々苦労をかけたけれど、そしておそらくこれからもかけるけれど。
それでも今日無事に退職したことを妻に報告。
妻がそれを確認し、同時にめでたく退職金を満額受け取れるようになったということを知ってくれたことが本当にうれしいです。


42年間の公務員生活。
短かったと言えば嘘になりますが、では長かったかと言うとそうでもなかったように思えます。
42年間がんばり、懲戒免職にもならなかったので、退職金を受け取ることが確定。
それが何よりです。
過去を振り返ってグダグダ言っていても始まりません。
明日から心機一転して、新しい生活を始めなくては!




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