今日は、退職後の仕事探しの一環で筆記試験と面接の日。
休暇を取って受験に臨みました。
夕刻に試験を終えて妻にメールすると「東北地方で大地震があり、仙台にいる我が子と連絡が取れない」とのこと。
大急ぎで家に戻りました。

本日のウオーキング歩数、約10,000歩。(万歩計を持参せず)

2011年3月11日(金)




午前中の筆記試験が終わりました。
とっても難しい試験でしたが結構いい点を取れたと思います。
試験会場の外に出るとこんな建物が。



何だかとっても歴史がありそうな建物です。



試験会場の近くに京都市立銅駝(どうだ)美術工芸高等学校がありました。
私が転職を果たした後、とあることがあって退職に至る今までずっと同じ分掌を希望して続けてきました。
そのきっかけになった子がここ銅駝美術工芸高校に進学したことを思い出しました。
もう今から25年も前のことです。



午後の面接は4時半から。
時間はたっぷりあるので、ゆっくりと歩いて南下します。
島津創業記念資料館前へ。



島津創業記念資料館の建物。



「がんこ」高瀬川二条店。
角倉了以別邸跡です。
今年の送別会もここで開催されます。
退職する私にとって最後の送別会の会場です。



ここの庭園はとっても立派です。
「がんこ」を利用しなくても、声をかければ庭園をフリーで見学させてもらうこともできます。



高瀬川・一之船入。
船入というのは港の様なもので、高瀬川沿いに設けられた船入は当時は9ヶ所ありましたが、今残っているのはここ1ヶ所だけです。
船入は、荷物の上げ下ろしや船の方向を転換するため川から西側に向けて直角に掘割が掘られていました。



復元された高瀬舟。



船溜りに面する紅殻壁の町屋。
とっても風情があります。



町屋の右側(北側)の水路が一之船入の掘割です。



説明。



一之船入沿いの町屋。



一之船入をあとにして、昼食を摂るために更に南下。
桂小五郎の像がありました。



ここは長州屋敷跡です。



鴨川沿いにきれいなチューリップの花が咲いていました。



ズーム。



寺町通三条上ルの矢田地蔵尊前へ。
別名を「代受苦地蔵(だいじゅくじぞう)」と言いますが、苦を代って受けてくださるお地蔵尊です。



京都市役所西側の「アローン」で昼食を摂った後、再び散策開始。
アローンは、料理の巨大さで有名。
オムライスなどは極めて大きいので、修学旅行の女生徒が3人で分けて食べている風景を見かけたりします。
河原町通りを歩いていると、飛行船を発見しました。



何をしているんだろう・・・・・・。




面接試験が終わったので妻にその旨をメールすると、妻から「東北で大地震があり、仙台の二男と、仙台の二男宅を訪問している長男と連絡が取れない。」と連絡が。
大急ぎで帰宅し、2人にずっと電話し続けました。
テレビで次々に映される津波の映像に、心が凍りつきました。
二男は営業で海岸沿いを車で走ることが多いからです。

結局、電話をかけ続けて2時間ほどしてから長男に連絡が取れました。
仙台を離れてもう東京に戻っているとのことでホッとしました。

二男には更に2時間ほど電話をかけ続け、ついに電話がつながりました。
二男も無事でした。
ただ、住まいも会社も被災したので避難所にいるとのことでした。
二男の無事を知り涙が出ました。

その後数日間を避難所で過ごした二男は、会社の用意した車で仙台を離れ本社がある京都まで戻って来ました。
今は、自宅から京都の本社に出勤していますが、2週間ほどしたらまた仙台に戻り被災した仙台支店の復興にあたるそうです。

東日本大震災の犠牲者の方にご冥福を、そして被災者の方に心からお見舞い申し上げます。
支援金の募金をはじめ、できるだけのことはするつもりです。




ホームに戻る





inserted by FC2 system