今日は朝から、旧国鉄宇治駅から日本レーヨン(現ユニチカ)工場内へ延びていた引き込み線跡を追うウォークをしました。
宇治には、黄檗火薬製造所の引き込み線と日本レーヨンの引き込み線との二つの引き込み線跡がありますが、その両方を完全歩破したことになります。
午後からは、京都市の「わら天神」(正式名称は「敷地神社」)へ行きました。

本日のウオーキング歩数、15,663歩。(うちエクササイズウオーク8,251歩)、消費カロリー509kcal。


2011年1月23日(日)




自宅を出発して速歩。
宇治橋通り商店街近くの路地へ到着。
道幅は1メートルもありません。
車が発達するかなり以前の道(跡)だということが容易に想像できます。



JR宇治駅前。
今は幻になってしまった、国鉄宇治駅から日本レーヨンへ敷かれていた引き込み線の跡を追う作戦の開始です。
私の記憶の中にはあるのですが、引き込み線の詳細までは詳しくは覚えていません。
ちゃんと分かるかなあ・・・・・。



JR宇治駅前の郵便ポスト。
茶どころ宇治にふさわしく、茶つぼ型です。



まずは、宇治駅東側にある廃止された踏み切り跡へ。
行動前の私の思いでは、この踏切の先の道が引き込み線跡だったかとおぼろげな感覚が。
でも実際にその場所に来てみたら、何だか違うような気がしてきました。



かつてここに踏切が存在していました。
でも違います。
この先にあった道は、おそらく日本レーヨンの引き込み線跡ではありません。
次はJR宇治駅に向かいます。



JR宇治駅に到着。
日本レーヨンの引き込み線は、国鉄宇治駅の北側に伸びていました。
JR宇治駅の南口から階段を上って改札前を通り、北側の窓際へ。
窓の外にはユニチカ宇治工場の煙突が見えています。



JR宇治駅を出て、ユニチカ宇治工場を目指します。
工場のコンビナート(?)が見えてきました。
ユニチカ宇治工場は、かつての日本レーヨン宇治工場なのです。



ユニチカ宇治工場の入り口へ。
門衛さんに尋ね、情報を仕入れます。
その結果、私の記憶にあった「粟村金属鉱業にも引き込み線が通っていた。」という事実はなかったことが分かりました。
国鉄宇治駅には粟村金属鉱業の貨車がほぼ常におかれていて、その貨車には当時の私にとっては「珍しい」と思える鉱物が満載されていました。
小学生の頃、私はその国鉄宇治駅に置かれていた粟村金属鉱業の貨車からこぼれ落ちたマンガン鉱などを拾い集めて標本を作り、学校に「夏休みの作品」として提出したことがあります。
その結果、その夏休みの作品が「鉱物採集部門」で優秀だということで表彰された記憶があります。
それは、勉強も運動も何も得意でなかったgodzillaが人前で自分を誇れた数少ない記憶の一つ。



国鉄あるいは日本レーヨン。
いずれも、とっても懐かしい響き。
国鉄宇治駅から日本レーヨンに延びていた線路跡へ。
今は、ユニチカ従業員の駐車場への通路になっています。
線路跡へ入って少しだけ進んだだけなのに、もうJR宇治駅舎が見えてきました。
記憶には全く残っていませんが、日本レーヨンの敷地から国鉄奈良線の宇治駅までは、距離にしてほんのわずかだったようです。
驚きました。



振り返ります。
国鉄奈良線・宇治駅からの引き込み線は、この先で日本レーヨン宇治工場の敷地内に入り、そして構内奥へと通じていたのです。



引き込み線の線路跡が行き止まりになりました。
驚くことに、線路跡の行き止まりはJR宇治駅の北口付近。
後ろを振り返って写真を写しました。
拍子抜けするほど線路跡の距離が短かかったことに驚きました。
日本レーヨンから国鉄奈良線の宇治駅までの引き込み線の距離は、およそ200メートルくらいでしょうか。



引き込み線の線路跡を観察しながら、今来た道をゆっくりと引き返します。
かつて、国鉄宇治駅から日本レーヨンの引き込み線はこのようなコースで右に緩やかにカーブしながら延びていたのです。
走っていた列車は、もちろん蒸気機関車です。
SLが、黒煙を吐き出しながら、ここにあった線路の上をシュッポシュッポと進んでいた事実。
走っていたSLのことは全く覚えていないのでとても残念ですが、宇治駅構内に置かれていた粟村金属鉱業の貨車は黒い無蓋車だったことは今でも覚えています。
ちなみに、ネットで「日本レーヨン 引き込み線」の二つの言葉で検索すると、日本レーヨンの引き込み線を走っていたSLの写真を見ることができるブログにたどり着くことができます。



引き込み線は、この位置に至っていました。
この先は当時の日本レーヨンの敷地でした。(今はユニチカの敷地です。)
国鉄宇治駅からの引き込み線は、ここを直進して日本レーヨンの工場内の奥へと延びていました。



JR宇治駅北口に戻って来ました。
日本レーヨンの引き込み線跡を工場側からJR宇治駅方向に進んでいくと、宇治駅北口駅前の時計を右に見る位置で黒いフェンスに阻まれて行き止まりでした。
宇治駅北口側から時計を左側に見ることになる、この写真正面の黒いフェンスの向こう側が、その位置。
ということは、この写真正面の黒いフェンスの向こう側が引き込み線跡ということが分かります。



日本レーヨン引き込み線跡を追うウォークを終えて、JR宇治駅舎の二階へ。
何と!
JR宇治駅舎の二階北側の窓からは、日本レーヨンの引き込み線跡が一望できるではありかせんか。
写真左の薄茶色のマンションの右側にある、右に緩やかにカーブしている道が、日本レーヨンの引き込み線跡そのもの。
宇治で生まれ今でも宇治に住んでいるいる私がその跡を今日追ってみた日本レーヨン引き込み線跡が、電化・複線化されその姿を大きく変えたJR宇治駅舎内から一望できるとは。
そのことを知ったことは、今日の私のウォークの大きな成果。



JR宇治駅舎をあとに。
南口駅前にある、宇治橋通り商店街のモニュメント。



宇治橋通商店街へ。
「町家ギャラリー」の古池邸。



昭和初期に建てられた鉄筋コンクリート二階建ての建物。
当時の鉄筋コンクリート二階建ての建物は珍しいものでしたが、宇治にはその建物が残っているばかりか現役で利用されています。
この建物は、今でも薬局として使われています。



碁盤の目のように東西南北に道が通る京都。
その都市計画をを「条里制」と呼びますが、実は宇治にも京都と同じような条里制による都市計画が行われていました。
この狭い道は、かつての宇治の条里制の跡で条里制の頃から存在していた道なのです。



かつては、こんな家風景はどこでも見られたものです。
でも今では珍しくなってしまいました。



宇治川左岸の宇治公園に到着。
ユリカモメがいっぱいいましたが、ユリカモメはハトとほとんど同じ大きさ。
ユリカモメに投げられるパンくずを目当てに、ハトも辺りをウロウロとしています。



可愛い可愛いユリカモメ。
でも生命力は旺盛。



ユリカモメが飛び回る宇治公園。
自然あふれていますが、でも渡り鳥であるユリカモメは「鳥インフルエンザ」のことがとっても心配。
鳥の羽が地面に数多く落ちていますが、極力接触しないように心がけます。



塔の島から宇治川右岸へ。
人道橋の「あさぎり橋」を渡ります。



宇治川右岸の恵心院へ。
水仙の花がそろそろ咲き始めていました。



水仙の花をズーム。



恵心院の本堂。
境内に入ってすぐに本堂へのお参りは済ませました。
一礼して、本堂前を通過。



恵心院境内をあとにして、宇治川右岸を北進。
ほとんどの人が見たことがないであろう、「その他の危険」の道路標識を見ます。



道路標識にあった「その他の危険」というのは、この木の枝を指します。



「その他の危険」の標識と、道路事情との関係。



ドンドン北進。
巨木を発見。



巨木は神木になっていました。



宇治橋東詰に到着。
旧宇治橋の三の間が保存されています。
旧宇治橋の橋脚も健在。



今の宇治橋「三の間」。
旧宇治橋の橋脚が風雪に耐えています。
と言うか・・・・・・・・。
お役御免になった橋脚は一刻も早く撤去すべきだと私は思います。



宇治橋通り商店街へ。
懐かしい謄写版が「宇治橋通りのお店で使われていたもの」というコーナーに置かれていました。」
そうです。
昔は、この謄写版が使われていました。
その後「ボールペン原紙」に代わり、そして今はパソコン+印刷機。
便利な時代になったものです。



天秤棒。
そう言えば、かつては使われていましたねえ・・・・・・・・・。



帰宅してウォーク完了。
昼前から家族で「わら天神」に向けて出発。
わら天神近くのファミレスで昼食を終え、わら天神に到着。



4,000円でお守りセットをいただくと、ロウソクが2本入っていました。
1本は、このわら天神の本社へお供え。



わら天神の由緒。



綾杉明神社。



樹齢千数百年の綾杉が祀られていしました。



綾杉明神の由緒。



六勝神社。
ここに残り1本のロウソクをお供えします。
さて、用事は終わったので帰路に。



廃線跡を追う魅力に完全に目覚めてしまった感がある最近のgodzillaです。

今日は午後から、家族と過ごす平穏で幸せな時間を持つことができました。
寒さに耐えながら、家族と共に暖かな春を待とうと思います。



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