今日は、京都市内を少し歩きました。
主目的は、明日妻が東京に行くので新幹線の切符を金券ショップで買うこと。
金券ショップでも一番安い店が、高辻通りにあるのです。

本日のウオーキング歩数、14,978歩。(うちエクササイズウオーク10,504歩)、消費カロリー546kcal。

2010年12月25日(日)




京都駅に到着。
駅前の京都タワーを眺めます。
シルエットはアトム像です。
京都駅には、小規模ですが「手塚治虫ワールド」と言うかアトムワールドがあるので、その案内像です。



京都タワーは、「寺院が多い京都の街を照らすロウソクをイメージしている」等と言われたりもしますが、実際には海がない京都市街を照らす灯台をイメージしてデザインされました。。



高辻通りにある金券ショップで新幹線の切符を購入。
帰路で繁盛神社に寄ります。



お参りします。



繁盛神社の裏手にひっそりとたたずむ班女塚。
「宇治拾遺物語に次の物語が載っています。
昔、長門国守に2人の娘がいた。
家は高辻室町辺りにあり、姉は結婚をしていたが、妹は宮仕えしていた。父母も亡くなり、姉と同居していた妹は、病気を患い若くして亡くなってしまった。
遺体は家が手狭だったので、妻戸口に安置されたがいつまでもそのままではいかない為、棺に入れ鳥辺野の墓地へ運んだ。
墓地への途中、棺が軽く蓋が少し開いていて、中を見ると遺体がない。
落としたのかと思った人々は、探しながら家に着くと、遺体は妻戸口にもとの格好で置かれていた。
翌日、再び棺に納め墓地へと運んだが、また蓋が開いていて遺体は妻戸口にあった。
三度棺へ納めようかと動かしたが、根っこの生えたように全く動かない。
思案にくれていると「ここに居たいのだろう、この場所に葬ろう」と言うことになり、妻戸口を取り壊し、遺体を埋め塚を築いた。
家の人々は遺体を埋めたところに住むのは気味が悪いと言って、引っ越してしまい、月日が経ち家も壊れてなくなり、塚だけが残ったという。

その場所がここだとされています。



かつてこの地は、縁談ごとで通ると必ず破談するとされ、婚姻を前にした女性は近づきませんでした。
亡くなった女性の霊を慰めるため、かつては全裸の男性が神輿を担いだ時期もあったらしいが、今ではそんな事も行われていません。



繁盛神社の説明。
塚は、その後弁財天を祀って「班女社」や「半女社」等と呼ばれるようになりましたが、不吉な場所とされてきました。
それがいつの間にか、塚を祀っている班女神社が繁盛神社と呼ばれるようになり、婚姻を邪魔し破談させるとされる場所が商売繁盛・家内安全・諸芸成就、果ては良縁成就のご利益があるとされるようになりました。
京都人のたくましさに感心します。



ひっそりとたたずむ祠。



班女塚の周囲は時間が止まってしまったような、そんな印象を受けるほど、しんと静まりかえっていました。



繁盛神社をあとにし帰路につきます。
高辻通りにある、京都市立成徳中学校の校舎。
とっても歴史が古そうな建物です。



烏丸通まで戻り南進。
東本願寺前で、こんなことばを見ました。
何だか心から共感できました。
以前はこんな言葉に心動かされることはなかったんですが・・・・。
それだけ私が年輪を重ねたってことなんでしょうね。


1200年の歴史を誇る京都には、不思議な話が数多く伝わっています。
班女塚もそのひとつ。
かつて京都の周りをぐるりと取り囲み洛内と外部との行き来をと途絶させていた御土居(おどい)や、あるいは奈良の大仏より大きかった京都大仏もその認知度は驚くほどの低さ。
いつか、京都の不思議どころをまとめるコーナーを作りたいそんな気がしてきました。
私はあと3ヶ月で退職しますが、退職後の取り組みとして面白いかもしれません。


ホームに戻る









inserted by FC2 system