今日は、私の社会人現職中で迎えた最後の忘年会。
感無量。
忘年会が開かれた京都の夜を満喫しました。

2010年12月22日(水)




京阪電車特急に乗り「祇園四条駅」で下車。
地下から地上に上がり、南座の「まねき」を見ます。
事件があった海老蔵さんの「まねき」は撤去されてしまっています。



祇園石段下交差点の至近にある祇園会館へ。
今日の忘年会は、この祇園会館の中で開かれます。
祇園石段下交差点と言えば、70年前後に京都で学生時代を送り学園闘争や政治闘争に参加していた人達には、おそらく忘れられない場所のはず。
当時、円山公園や円山野外音楽堂で集会を開いた労働者・学生の部隊は、石段下交差点でたびたび機動と衝突しました。
その最大のものは、祇園解放区闘争。
祇園解放区闘争当日のスローガンが「四条通制圧」ということは、集会に参加していてとなりのグループが話しているのを聴き初めて知りました。
デモ隊は集会を終えデモに出発した後、先頭の旗竿部隊が石段下交差点で旗竿を水平に構え機動の盾に突撃。
それをきっかけにデモ隊と機動との乱闘が始まりました。
最初は機動とデモ隊が入り乱れていましたが、結局デモ隊が勢いで勝り次第に機動を圧倒。
機動が引いた祇園石段下交差点をデモ隊が制圧し、祇園石段下交差点はまさに「解放区」の様相を呈しました。
交番がデモ隊に占拠され、交番内の机の引き出しに入っていた書類が交差点にぶちまけられるなどしました。
普段デモ隊は、体格がよく格闘技に長ける機動に「並進規制」と言う名の暴行を解散地点まで受け続けることが多く、祇園解放区闘争は積もり積もったデモ隊の怒りが爆発した感がありました。
当時、祇園会館には映画館がありました。
祇園会館の映画館から出てきたアベックが、デモ隊に制圧された石段下交差点を観ながら何事もなかったかのように手をつないで仲良く帰っていく風景。
それも当時の京都の一風景でした。
そんなことをふと思い出しました。



懐かしい思いにふけりながら、忘年会場へ。
1時間半で、牛肉食べ放題・酒飲み放題。
食って食って、飲んで飲んで飲みまくりました。
いんや〜、満腹です。
そうそう。
私の前に座った同僚の22歳のお嬢さんに、70年前後の京都の様子を表す言葉をいくつか「知っているかな?」って尋ねましが、全て「?」でした。
そりゃそうでしょうね。
40年の歳月って本当に長いなぁ・・・・。
そのことを実感した次第。


あと3ヶ月で私は長かった社会人生活を終えます。
正義感に燃えた多感な青年時代の政治活動を今振り返り、私は一切後悔しません。
むしろ、そのことを誇りにさえ思います。
当時の経験は、「管理職には絶対にならない」など私の生きざまを決めることにつながりました。
「管理職志向」をせず、その代わりに反骨精神を持って社会人として過ごしてきましたが、そんな生活も間もなく終わります。
終わっても私は、「非管理職志向」で過ごしてきた姿勢・思考を崩そうとは思っていません。
私は退職後、管理職志向だった同業者とはおそらく一切付き合いをしないだろうなって思います。
事柄によっては結構かたくなな面を持っているgodzillaなのです。



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