今日は、前回の山背古道ウォークの続きを行いました。
山背古道はもう何度も歩いているので、今回のウォークは古道沿いの名所・旧蹟を訪れるものにしました。

本日のウオーキング歩数、34,134歩。(うちエクササイズウオーク21,275歩)、消費カロリー1,169kcal。

2010年11月6日(土)




今日の出発点はJR奈良線の新田駅。
新田駅の風景。



前回のウォークを終えた棚倉駅へ到着。
ここが今日のウォークの起点になります。



棚倉駅前の蟹満寺のモニュメント。
何度見てもこの蟹に違和感を覚えます。
だって蟹満寺の話に出てくる蟹は沢蟹。
でもこの蟹はどう見ても鍋物などに使うもの。



棚倉駅前には山背古道の碑が。



駅前の観光案内板。



和伎神社(湧出宮)へ。
766年に伊勢神宮から祭神を遷しましたが、その時一夜にして森が湧き出したので「湧出宮(わきでのみや)」とも呼ばれています。



境内には南北朝時代の石灯篭があります。
これがその南北朝時代の石灯篭なのかどうかは分かりませんが。



本殿。



棚倉駅前から少し北進しJR奈良線の踏切を渡ります。
北側には不動川の下をくぐるJRのトンネルが見えています。



火の見やぐらを発見。



路面に埋め込まれた山背古道のマーク。
これが山背古道を歩く時の唯一の道路での手掛かりになります。



山背古道の典型的な風景。
山背古道ウォークは、イコール路地ウォークなのです。



こんな生活臭が漂う路地も山背古道の一部。



不動川左岸へ。
蟹満寺ゆかりの民話「蟹の恩返し」の絵が描かれています。



不動川。
普段はこんな感じで、下流の木津川に流れ込むまでに水は川底に消えてしまいます。
ところが大雨が降ると暴れ川に一変。
その姿はまるで「千と千尋の神隠し」に出てくる「顔なし」のようです。



山背古道を離れ「災害記念碑」を目指すことに。



路傍の石地蔵様。



災害記念塔に到着。
1953年8月15日の大水害で河川が氾濫し、この辺り一帯は死者が300人を越える大被害を受けました。
でも人々は必死に復興すべく奮闘し復興を果たします。
このことを記念してこの石碑が建設されました。



災害記念塔が建っている場所は綺原(かんばら)神社があった場所。



昔懐かしい井戸ポンプがありました。
今はモーターを使って水を汲み上げているようです。



災害記念碑前の道を北進し集落の中へ。



集落の中を突きあたって右折し、再び山背古道へ。
蟹満寺に到着。
蟹満寺は工事が終わり本堂が新しくなっていました。
寺の創建は7世紀の後半で、昔の寺域は200メートル四方にも及んでいました。
本堂に安置されている白鳳時代の「釈迦如来坐像」は、高さが262センチメートルで重さが7トンもあります。
坐像の指の間には「曼網相」という水かきのようなものがついている一風変わったものです。



落ち着いた雰囲気の境内。



蟹の縁起に由来する額。
蟹は知っていたのですが、蛇が描かれていることには今まで気づきませんでした。



蟹満寺周辺の風景もなかなかのもの。



蟹満寺東隣の綺原(かんばら)神社へ。
ここには江戸時代の神輿があり、今も現役で担がれています。
神輿は、棚倉駅前の湧出宮でお祓いを受け、北上して綺原神社まで戻ります。



綺原神社の由来。



神社へお参り。



石の牛さんが。



綺原神社を後にして、北側の天神橋を渡りました。
少しだけ山背古道を北上してから再び山背古道を離れ西に向かいます。



高倉神社に到着。



高倉神社の東隣には以仁王の墓があります。
以仁王は源頼政に勧められ、平清盛一族を討つ命令を各地の源氏に出しました。
でもそれが発覚し、宇治川合戦に敗れ平家方から追われる身に。
敗走途中に流れ矢に当たってこの世を去ってしまいます。



高倉神社境内には真新しい白馬像が。



高倉神社南方100メートル辺りにある浄妙塚に行こうとしたんですが、道がありません。
「塚へ行く道がない。」というのは想定外で、しかも解決不能の困難さ。
ずいぶんウロウロしたんですが、結局道はないことが判明。
そこで「地元の人が塚にお参りに行く時にはどうしているんだろう?」ということを考えました。
そして、塚に行けるかもしれない方法を一つだけ思いつきました。
テクテク。



筒井浄妙の墓とされる「浄妙塚」になんとか到着。
祇園祭で巡行される「浄妙山」は、宇治川の合戦などで活躍した武勇の僧兵である浄妙と一乗法師との戦いの様子を再現したもの。
一乗法師が片手を着き浄妙を飛び越える様が浄妙山で見事に再現されています。



参考として「浄妙山」の写真を。
2004年7月17日(土)に撮影したものです。



「筒井浄妙塚」と刻まれた石碑。



浄妙塚をあとにして旧道を北進。
天井川の渋川が見えてきました。
渋川の向こう側はもう井手町です。



阿弥陀寺前を通過。



天井川である渋川のトンネルをくぐって右折し東進。
山裾に到着後、更に歩き「橘諸兄(たちばなもろえ)旧跡を目指します。
井手火山灰層前を通過。
一億年以上前に起きた今の長野県での噴火の灰が積もったものだとか。



火山灰層。



橘諸兄旧跡に到着。



橘諸兄旧跡。



説明。



更に山道を北進。
弥勒(みろく)石仏に到着。



到着と思ったんですがまだでした。
山岳遊撃開始。(;一_一)



線彫りされた弥勒石仏。
橘諸兄の館建立に際し鬼門よけとして刻まれたというのは建前で、実際には戦に明け暮れる武士達の支配に嫌気がさし、自らの心のよりどころとして農民達が心をこめて刻んだものだそうです。



山道を下り山背古道に戻りました。
しかし山背古道を歩かず、直進(西進)して山背古道を横切り井手町の集落内にある六角井戸へ。



六角井戸は橘諸兄の館の名残のもの。



六角井戸の説明。



観光案内の上に蛙。
実は井手町と蛙とは深い関係があるのです。



多摩川保育園の裏にある蛙塚(かわづづか)へ。
井手を歌った和歌の中でも蛙に関するものは数多く、古来より井手は山吹とともに「蛙」の名所としても知られていました。



蛙塚。
鴨長明の「無名抄」には、「井手の蛙は大きさが普通の蛙と同じくらいであるが、色は黒くさほど飛び歩かずいつも水の中にいて、夜がふけるとその鳴き声は清らかで、人の心をしみじみとさせる。」と記されています。



蛙塚周辺はこのように整備されています。



蛙塚の説明。






次に井堤寺(いでじ)跡を目指します。
可愛い案山子ちゃん。
ただし田んぼの中ではなく畑の中にある案山子です。



料理屋さんの壁に描かれていた観光案内図。
井堤寺跡の次には図に描かれている左馬ふれあい公園の駒岩を目指します。



こんなものも描かれていました。



井堤寺跡に到着。






この場所には晩年の小野小町も住んでいました。



説明板。






次に左馬ふれあい公園を目指します。
和束町方面へ歩きます。
いい天気で、そしてとってものどか。
素晴らしいウォークになりました。



何人ものサイクリストとすれ違いました。
でもこんな天気がいい日には、この素晴らしい風景をじっくりと楽しもうと思うと、自転車よりウォークの方に軍配が上がります。



風景をじっくりと楽しめるのははいいのですが、目的地から目的地までの距離が長いと移動に時間がかかるのがウォークの欠点。
ふ〜っ。



何てことない風景なんですが、なぜか心惹かれる風景。
思わずシャッターを切りました。



左馬ふれあい公園に到着。
公園の反対側にはなぜか廃墟がありました。
最近、廃墟にも若干の興味を持ち始めた私なのです。



左馬の説明。



数百トンもの重さがある駒岩。
元々は玉川左岸にあった岩ですが、水害で右岸のこの場所に流れてきたのです。



左馬の説明。
駒岩の下部・奥の方に、後足を跳ね上げ躍動する馬が彫られているのです。



うまく写真が撮れました。
見事な馬が彫られていました。



駒岩をあとに。
元の道を引き返し、山裾に沿って元来た道から離れ山背古道へ。
そして再び山背古道を離れ、玉津岡神社と地蔵院に至る坂道を少し上り小野小町塚に到着。



平安時代前期の女流歌人小野小町は「絶世の美女」とされています。
冷泉家記には「小町六十九才井手に於いて死す」と記されており、晩年を小町がこの井手の地で過ごしたことはほぼ間違いないようです。






玉津岡神社と地蔵院への長い坂道と階段。



石鳥居に着いたものの、まだ先には坂と階段が。



木の鳥居に到着。
でもまだ先に坂道と階段が・・・・・。



玉津岡神社境内へ。
神域守護の初代神馬像跡。
ここにあった初代の神馬像は、大平洋戦争の末期に物資統制令で徴用されてしまったのです。



二代目の神馬像



曹洞宗・地蔵院へ行くため少しだけ下ります。
それにしても長い坂道です。



地蔵院へ。



地蔵院のシダレザクラは有名。






シダレザクラの樹。
桜の花が咲く頃には、このシダレザクラの花を目当てに多くの人がここ地蔵院を訪れます。



玉津岡神社と地蔵院をあとにして山背古道へ。
ここからはずっと山背古道を歩きます。



山背古道で最も狭い道の付近。
自転車の離合ができない広さです。



ここが山背古道で最も狭い道のひとつ。
山背古道にはこことあともう一ヶ所、ここと同じくらい狭い道があります。



蛇谷川。
名前は凄い川ですが、風景としてはとっても優しい川です。
もっとも大雨が降った時にはこの川も恐ろしい姿になるのかもしれませんが。



井手町には源氏ボタル保護条例があります。



谷川ホタル公園。
日本に生息する30種類以上のホタルのうち、水棲のものは「源氏ボタル」と「平家ボタル」の二種類のみ。
他のホタルは全て生涯を陸の上で過ごします。
ここに源氏ボタルが生息するのは水がきれいが故。
いつまでも源氏ボタルが生育する環境が残って欲しいものです。



高神社に到着。
711年建立の本殿は、京都府指定の文化財になっています。
境内を含む森一帯は「文化財環境保全地区」に指定され、「京都百景」のひとつでもあります。



陽がずいぶん傾いてきました。



山背古道にはこんなコースもあります。



城陽市に入りました。
浄土宗洞谷山・西生寺前を通過。



市辺天満宮前通過。



市辺天満宮を過ぎてからもドンドン北進しましたが、夕刻には家に着かなくてはならないので時間切れ。
引き返して、JR山城青谷駅へ。
夕陽を浴びる山城青谷駅。
駅に着いたのはいいのですが、着く直前に京都行きの電車が出発してしまい次の電車が来るまで30分も待つはめに。
こんなことなら引き返さずに長池まで歩いたらよかった。(;一_一)


山背古道とその周辺の魅力。
何度山背古道を訪れても本当に素晴らしいと感じます。
と言うか、訪れれば訪れるほど山背古道の魅力を強く感じるようになる気がしてきます。



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