今日は、歌姫街道〜上人ヶ平遺跡〜山背(やましろ)古道を歩きました。
今までの山背古道ウォークと異なり、単なるウォークでなく旧蹟などをしっかりと観るウォークにしました。

本日のウオーキング歩数、47,033歩。(うちエクササイズウオーク17,127歩)、消費カロリー1,518kcal。


2010年10月11日(月)




近鉄電車で大和西大寺まで行きました。
西大寺の地は、かつて私がボランティア講師をしていた「私設・奈良夜間中学校」の授業が行われていた正強高校があった場所。
懐かしい正強高校に行こうとしたんですが、講師をやめてから長い年月が過ぎ去っているので場所を完全に忘れてしまっていました。
そこで、駅前の警備員に尋ねたんですが「知らない」とのこと。
そのやり取りを聞いていた女性が「正強高校は奈良大学付属高校になって、場所も移転してしまいました。」と教えてくださいました。
やむなく正強高校訪問を取りやめウォーク開始。
道路の真ん中にこんなお地蔵さまがありました。



奈良はおりしも遷都1300年。
記念行事などが行われていました。
再建された第一次大極殿を眺めます。



第一次大極殿の前に飛鳥美人が。
って言うか、これはおそらく貸衣装なんでしょうね。



佐紀町の交差点。
ここから歌姫街道に入ります。
歌姫街道は県道751号線とされています。



歌姫街道にも道路の真ん中に地蔵様がおられました。
おそらく道路を拡幅した際に、地蔵様が移転を免れそのまま残されたんでしょうね。



歌姫町行きのバスが通過していきます。
あと少し先が「歌姫町」のバス停になります。
雅楽に関係する楽人などが住んでいたことに由来する街道名と町名が、「歌姫」というロマンチックな名前で今でも残っているのです。



公民館のような場所に古い消防用具が保管されていました。



添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社に到着。
農業の神・旅の神として古くから崇敬されてきました。



添御縣坐神社を過ぎたあたりで道が狭くなり下り坂になります。
いわゆる「歌姫越え」です。



「歌姫越え」を下り切ると、のどかな農園風景が広がっていました。



「ならやま大通り」の高架下を通過。



道路脇に三笠まんじゅうのような美味しそうなキノコが。
でもだれも採っていないところをみると、おそらく毒キノコなんでしょうね。



平城左京団地に入りました。
幹線道路のように太くなった県道751号線に沿って伸びる遊歩道を歩くことにします。



平城左京団地を横切り国道24号線へ。
山背古道のかつての終点であった五領池の近くです。



秋らしい美しい青空が広がります。
この辺りの国道24号線とJR関西本線との間に、歌姫瓦窯跡があるはずなんですが、いくら探しても見つけられません。
ここはちょうど奈良県と京都府の府県境になるので、奈良県と京都府を何回も行ったり来たりしました。



ガーデンモールKIZUZAWAへ。
この辺りに、山背古道の南の起点である上人ヶ平遺跡公園が新しく整備されたはず。
ガーデンモールの道路を挟んだ向かい側に新しい公園があったので、公園で遊んでいた親子連れに「上人ヶ原遺跡公園はここですか?」と尋ねると、「ここではありません。もっと上のほうに小高い場所にできた公園があるのでそこではないですか。」と教えてもらいました。



山背古道の南の終点辺りに小高い場所に鳥居があったことを思い出し、「あそこが上人ヶ原遺跡だったんだ。」と納得しながら坂道を汗を流しながら歩きます。
回転すしの可愛いキャラが見送ってくれます。
それにしても暑い!



それらしい公園に到着!
しかし、公園名が「上人ヶ平遺跡公園」ではなく「州見台公園」です。
公園にいた人に尋ねると、可愛い女の子が「古墳公園はずっと下った左側です。」って教えてくれました。
ってことは、それってさっきの公園でないの。(;一_一)



暑い中を空腹に耐えながらテクテク。
さっきの公園まで戻って来ました。
公園名を見ると、何と!「上人ヶ平遺跡公園」でした。
公園には高低差があり、さっき訪れた場所からこの場所はとっても見にくかったのです。
もっとよく見ればよかった。^_^;



発掘調査の際の写真。
写っている池は五領池ではありません。



古墳がありました。



瓦工房跡。



楽しいお食事ランララン♪
メニューは、塩コンブ入りのおにぎり2個、卵焼き、サバのみりん干し、それにカップそばです。(#^.^#)



食事しながら公園内を眺めます。



食事終了。
遺跡公園内を周ります。
一坂瓦窯跡へ。
この辺りには瓦窯跡が多数あります。
歌姫瓦窯跡もこの一角にあるようです。



公園内の道をずっと下って行きました。
「ひよっとして歌姫瓦窯跡があるのかな。」と思っていたんですが、道は行き止まりに。
歌姫瓦窯跡は公園内からはいけないようです。



上人ヶ平遺跡公園をあとにします。
公園は山背古道の南の起点。
山背古道ウォークの開始です。



どこに行けばいいのか分からないので、とりあえず山背古道のかつての南の起点である五領池方向を目指します。
ガーデンモールKIZUZAWA前を通過して少し進むと、左側に見慣れた風景を発見!
以前はこの先が閉鎖されており、山背古道の事実上の南の終点だった場所でした。



おっと!またここにやって来ました。
以前 山背古道ウォークで歩き終わり、帰るために薄暗くなった中をこの道を進んで行きました。
「車両は通り抜けできません」といことは、人は通り抜けできるだろうと考えたからです。
でもこの先は脇道もなく、しかも完全な行き止まり。
この道に絶対に入って行ってはいけません。



ここからが実質的な山背古道ウォーク。
山背古道ウォーク開始!



ザクロ発見。



五領池へ。



素晴らしきかな山背古道。



山背古道を少しだけ外れて火の見やぐらを見に来ました。
火の見やぐらの上の半鐘がいつの間にかなくなっていました。
その代わりにスピーカーが設置されていました。



再び山背古道へ。
大きな栗の実が。



上人ヶ平遺跡かもしれないと思っていた小高い場所へ。
鳥居と祠があり、公園になっていました。
でもさっき訪れた州見台公園ではありませんでした。
ここは州見台とはずいぶん離れた場所でした。



山背古道ウォークは「路地ウォーク」の要素が濃厚。



路傍の地蔵様。
祠の上にはお参りの時に鳴らす鰐口があります。



いいですねえ・・・
実にいい。



国道24号線を横切り、文廻(ぶんまわり)池へ。
木津農業用水・文廻池分水場です。



岡田国神社前を通過し国道24号線の下をくぐりました。
山背古道から一時的に離れ、井関川に沿って北上。
稲荷神社にやって来ました。



奈良街道から見る稲荷神社。
この空地にはかつて古い家があり、奈良街道から稲荷神社をまるで隠しているかのようでした。



稲荷神社から更に北上。
児童館の斜め向かいに「木津惣墓五輪塔」が建っています。
惣墓は、個人墓が普及する前の葬礼の形態で、共同墓地のようなもの。
重文の「木津惣墓五輪塔」建立の理由は分かっていませんが、木津川の氾濫で亡くなった人々の供養のためだとも言われています。



木津惣墓五輪塔から更に北上し、山背古道に戻りました。
天王神社へ。
1410年代創建の天王神社は、京都の八坂神社から勧請されたもの。



天王神社の説明板。



天王神社をあとにウォーク再開。
常夜灯と地蔵堂がありました。



「正覚寺」へ。



境内の「洪水供養石仏」。
1712年8月に木津川が氾濫し、住民数千人が犠牲になりました。
三回忌の1714年8月、弔いのためにこの石仏が造立されました。



洪水供養石仏の説明板。



歩を進めます。
山背古道からちょっぴり外れ、平安時代中期を代表する女流歌人・和泉式部のお墓へ。
和泉式部は木津の出身で、宮仕えの後 木津へ戻り余生を過ごしました。



和泉式部のお墓の説明板。



山背古道へ戻り、西教寺に到着。
城南霊場第一番、融通念仏宗、普門山「西教寺」です。



境内。
山門が閉まっているので、門から境内を写しました。
拝観は事前の申込みが必要なのです。
ここは融通念仏宗という宗派のお寺で、毎年8月に鉦や太鼓を叩きながら念仏を唱える「六斎念仏」が行われています。



大智寺(だいちじ)へ。
重文の本尊「文殊菩薩坐像」は、741年に行基が泉川(現在の木津川)に架かった橋の柱を刻み、像高65.5cmの座像を作り上げたもの。



大智寺の説明板。



再び山背古道から離れます。
「不成柿(ならずかき)」へ。



不成柿の説明板。
東大寺と興福寺を焼き、一ノ谷の合戦で源氏方に捕らえられ、木津川の河原で処刑された平重衡(たいらしげひら)が、首を跳ねられる際に、この世の名残に柿を食べました。
それを見た里人が哀れに思い、重衡が食べた柿の種を植えると、芽が出たけれど実が成らず、いつしかその柿の木は「ならずの柿」と呼ばれるようになりました。(今は木が代替わりして秋になると小さな実が成ります。)
「不成柿」の木の右側には重衡の首を洗った池がありましたが、今は埋まってしまいもうその池は存在しません。



不成柿。



「不成柿」と刻まれた石碑。



安福寺へ。
境内には平重衡の供養塔が境内にあります。



境内の平重衡供養塔。






安福寺に隣接する御霊(ごりょう)神社。
秋祭りでは、「布団太鼓台(ふとんだいこだい)」と呼ばれる神輿が各町内を出発し、それぞれ氏神様の神社へと練り歩きます。



御霊神社の西側の細い道を北へ向かうと、東側の住宅地内に「上津遺跡」があります。
奈良時代の官衙(かんが)で、木津川」が下流で桂川・宇治川の二川と合流し淀川となるという地の利を生かして、各地から物資を奈良に運ぶために設けられた施設の跡です。



上津遺跡の説明。



再び山背古道に戻り、サイクリングロードの南の起点に到着。



雄大な泉大橋を渡ります。



木津川右岸に到着。
「山城大仏」とも呼ばれる泉橋寺の大きな石地蔵が見えています。



泉橋寺に到着。
普段は閉まっている山門が開いていました。
お参りのために境内へ。
ここ泉橋寺は1180年に、平重衡が南都攻めをした時に焼かれてしまいました。
その後再建されましたが、14世紀の元弘ノ乱でも戦火で焼失。
境内やその周辺から奈良時代の古瓦が出土し、その頃には塔があったことを示す礎石も発見されました。



重文の五輪塔。
五輪塔は、宇宙を形成する根本要素である「空風火水地」を表し、上から順に宝珠形の空輪が空、半円形の風輪が風、三角形の火輪が火、円形の水輪が水、方形の地輪が地です。



山門の外へ。
泉橋寺の説明を読みます。



驚くほど大きい地蔵石仏。
地蔵石仏は、「山城大仏」と呼ばれる高さ4.85mの「石造地蔵菩薩坐像」。
自然石花崗岩で出来た巨大なこの坐像は丸彫りの石仏として日本一の大きさを誇ります。
今は露座ですが、完成当時には立派な地蔵堂があったのです。



1295年に地蔵の石材が切り出され建造開始。
13年後の1308年に地蔵堂が完成し、それ以降は堂内に安置されていました。
しかし、1470年頃に起こった応仁の乱が南山城地方まで飛び火し、1471年に大内政弘の軍勢が木津や上狛を攻めて焼き払った時、泉橋寺の地蔵堂も兵火で焼かれてしまい石仏は損傷。
それ以来、地蔵石仏は露座のままになってしまいました。



泉橋寺をあとに。
隣接する円成寺前を通過。



木津川市山城(旧・山城町)の茶問屋ストリート。
この辺りが茶葉の生産と流通の中心地になったのは、淀川に至る木津川の水運があったが故。
大阪を越えて神戸まで流通の流れがあったので、この辺りは昔は「東神戸」とも呼ばれていました。



火の見やぐら。
山背古道の南の起点近くの五領池近くのやぐらと同じく、このやぐらにも鐘はなくスピーカーが取り付けてありました。



国道24号線を横断して、上狛(かみこま)環濠集落へ。



環濠集落の説明。
通称「大里地区」のこの辺りは、中世以来 周囲を堀で囲まれ、長径約600m、短径約300mの楕円形をした環濠集落だったのです。



上狛は、室町時代に興福寺領狛野荘を中心に構成されていました。
大里は狛野荘の「南之荘」の中心集落で、村や畑を堀の内側に置き、土塁を築き竹藪や雑木林を設け その内側に家がありました。



当時の人々は、郷あるいは垣内(かいと)と呼ばれる共同生活単位で暮らし、その当時の名残で今でも「角垣内」等の7つの郷名が通称名になっています。



集落内の精悍な黒屋根。



集落内を歩きます。
別に悪いことをしているわけではないのですが、なぜか音をたてないように静かに行動してしまいます。



環濠集落内の大井戸。
周囲を外敵に囲まれた際には、命の水だったことでしょう。
今でも水がコンコンと湧いており、水は井戸があるこのおうちの打ち水として今でも利用されています。



環濠集落をあとにして山背古道を北上。
足が疲れたので、上狛小学校横の小さな公園でひと休み。



ウォーク再開。
上狛小学校前の像を見上げます。



浄土宗「西福寺」の手前を東に入り少し行った所にある、京都府指定文化財の「小林家住宅」。
築300年の民家で、江戸時代の初期1665年に建設、南山城では最も古い民家です。
主屋・土蔵・長屋門からなり、主屋は土間と座敷で、その座敷は4つの部屋に分かれています。
一目見たとたん、、家の巨大さに圧倒されてしまいました。



夕陽を浴びるコスモスの花。



美しいコスモスの花を眺めながら先を急ぎます。



国の史跡である「椿井大塚山古墳」に到着。
ここも古墳の一部なんでしょうが、今でも実際に残っている古墳はこの石碑の奥になります。



椿井大塚山古墳に到着。



椿井大塚山古墳をめぐります。
奥に舞台のようなものが組んでありましたが、時間も遅いので深追いせずに見学します。



古墳の説明板。



古墳をあとにしさらに北上。
春日神社に到着。



狛犬の近くに立つ灯篭。
このバツのような形は何を模しているか分かりますか?
これは蝶の形を模しているのです。



「水害記念碑」と刻まれた石碑。
木津川の水害にちなむ石碑でしょうが、「水害祈念碑」と刻んだ方がいいような気がしますが。



午後5時になりました。
JR奈良線・棚倉駅近くのスピーカーから「カラスと一緒に帰りましょ〜♪」という「夕焼け小焼け」のメロディが流れてきました。
「いいなあ」と思い聴きながら歩いていると、このスピーカーの曲が終わると次々にあちこちの方角から同じメロディが聴こえてきました。
最初は「波状的に鳴らすのかな?」と思ったんですが、おそらくそれぞれの施設の時計が1分前後違っているんだろうなって思い至りました。



棚倉駅に到着。
今日の行動はここまで。


歌姫街道と山背古道の両方を完全ウォークする計画でした。
でも、朝出発する時間が遅く、歩き始めた時刻が正午近かったことが影響し、2本の街道・古道完全ウォークはかないませんでした。
朝から、解約したプロバイダの回線撤去の工事があったので立ち会っていて、出発が遅れてしまいました。
でもいた仕方ないこと。
マイペースで歩きますので、これでいいのです。



ホームに戻る















inserted by FC2 system