極端に暑かった日々がやっと終わり、涼しい日がやってきました。
そして、涼しくなって初めて迎えた週末。
でも今日は月末最終の土曜日なので、無呼吸症候群の機器をレンタルしている関係で病院を受診しなければならない日。
遠くには行けないので、病院から帰って山背(やましろ)古道を少し走りました。
山背古道から帰宅し、夕刻には妻をパート勤務先まで迎えに。
夕刻に宇治川周辺を少し歩きました。

本日のウオーキング歩数、9,873歩。(うちエクササイズウオーク2,442歩)、消費カロリー322kcal+自転車ラン。


2010年9月25日(土)




病院から帰宅し昼食を終えて山背古道へ。



友愛の丘に到着。
山背古道は友愛の丘キャンプ場の中を通っています。



森山遺跡へ。
ここ森山遺跡では、縄文時代の集落遺跡や弥生時代の竪穴住居あとが見つかっています。



godzillaは、山背古道はもう熟知しています。
地図なしで余裕の自転車ラン。
山背古道はあの赤い屋根の家の手前を右折です。



大蓮寺へ。
長池の嶋利兵衛氏の墓石はサツマイモの形をしています。
嶋利兵衛氏は薬種商を営んでいましたが、売物の薬草の中に幕府禁制品が混じっていたため1746年に壱岐島(現長崎県)に遠島。
11年後に赦免の際、種芋と栽培法を持ち帰って百姓に教えました。
第二次大戦中や敗戦後の食糧難の時、この寺田イモが人々の空腹を癒してくれたのです。



歴史ある建物が素晴らしい山背古道。



山背古道沿いにある想い月・夢工房。
民芸品店ではありません。
工務店なのです。






城陽市を出て井手町に入りました。
高神社前に到着。



自転車でほんの1時間ほど走ると、私の生活圏とは全く異なる風景が目の前に広がります。
自転車って素晴らしい。



ここはもう何度通過したのでしょうか。
山背古道を通るたびにここで写真を撮ってしまいます。
それはここに来るたびに、この右側の道から「トトロが現れそう。」って思ってしまうから。
ここはそれほど素敵な場所なのです。
そろそろ時間切れなので、ここUターンし帰路につくことに。



城陽市の青谷まで戻って来ました。



運動会が行われている青谷小学校から聞こえてくる歓声を聞きながら、秋の風情を感じる風景を眺めます。



平安の頃から人々に愛されてきた酔芙蓉を発見。
酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になります。
酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたと言われています。



飲む前(かな?)。



飲んだ後(かな?)



「三本松の碑」に到着。



「サンガタウン城陽」へ。



今日は練習がない模様。



山背古道から帰宅し、妻をパート先まで迎えに行きました。
その帰路で車を妻に渡し、私はウォークをすることに。
宇治橋通り商店街に入り、もう50年以上も営業を続けている小売市場である「大阪屋マーケット」の建物を眺めます。
多くの小売市場がなくなってしまった今、ここ大阪屋マーケットは極めて貴重な現役の小売市場なのです。



宇治橋西詰めへ。
紫式部像を眺めます。



宇治橋西詰めから見る宇治川右岸の風景。



宇治川左岸堤防へ。
橘橋を渡ります。



塔の島へ到着。
夕日に照らされる朝霧橋が見えてきました。



塔の島から見る観流橋。



朝霧橋へ。



傾く夕日を眺めながら何やら語り合うカップル。



宇治川右岸にある山門。
宇治の観光関係の仕事をしたこともある私なのに、この山門の名前は未だに分かりませぬ。(-_-;)



匂宮と浮舟の像。



宇治川右岸から朝霧橋上をズーム!



高校の時の同級生の「家」であり宇治の焼き物の工場。
厳しい経済状況ゆえ、ここは某宗教団体が購入した模様。
ここに(元?)タレント「せんだみつお」が転がり込んでいるという未確認情報あり。
そういえばあの同級生はどうしているのかな。
ここにまだ住んでいるのかなあ・・・・?



観流橋に到着。



観流橋付近の川岸にたたずむ水鳥君。



興聖寺前に到着。



亀石に着いたので、亀石を眺めます。



民宿「亀石」前へ。
時間がないので、今日の行動はここまでで終了〜。



間もなく日没。



朝霧橋の向こうに輝く夕日。



宇治川右岸から朝霧橋上をズーム。



朝霧橋上で迎えた日没。
さて、帰ろうっと。


一気に、とってもいい季節になりました。
今年の冬は厳しいとか。
冬が来る前に、短い秋を満喫しなくては。


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