今日は祇園祭の山鉾巡行。
梅雨で長らく中距離以上のウオークをしていなかったので、宇治を起点に山鉾巡行が行われる京都市中心部まで歩きました。
ただ、うっかりして高性能緩衝材が入ったウオーク専用シューズを履いていかなかったので、ゆっくりと歩きました。
だから予想以上に時間がかかり、山鉾巡行が行われる場所に着いたのは午後1時過ぎ。
本日のウオーキング歩数、40,269歩。(うちエクササイズウオーク23,292歩)、消費カロリー1,369kcal。
2010年7月17日(土)
朝10時半を過ぎてから宇治市北部を出発しました。
JR奈良線沿いに歩き、伏見区で玄関前で野菜を売っている家を発見。
野菜の自動販売機があったので驚きました。
驚いたのは野菜の自動販売機の存在ではなく、設置してある場所。
人通りもほとんどない狭い道だからです。
「買う人がいるのかなあ?」って。
また別の販売所。
新鮮な野菜が安いので、私の家の近所にこんな場所があればいいのになあ・・・・。
とっても落ち着いた家並み。
JR奈良線の線路を見上げます。
灯かり用と思われる石造物。
以前からありましたが、これが何であるかは分かりませんでした。
でもどうやら、説明板が新しく設置された模様。
説明。
千姫が大阪城の豊臣秀頼に嫁いだ時に利用したこともある舟入址だそうです。
普通電車が頭上を通過。
桃山御陵方面へ。
この場所は「物の怪」がよく出ると言われている場所。
ここを通りかかったバスが、何かが飛び出したので急ブレーキをかけバスの乗客に怪我人が出たという記事を以前新聞で読んだことがあります。
そしてその飛び出したものをバスの運転士が確認すると、影も形もなかったとか。
御陵内の道路を通過。
路傍にきれいな花が咲いていました。
沖縄朝顔と言うのでしょうか?
強靭な生命力の朝顔で、霜が降りるまで延々と咲き続ける朝顔も咲いていました。
桃山城の近くの高級住宅街を通過。
とっても土地の価格が高い場所です。
人名のような地名。
この地名には納得できます。
この近くに伊達政宗の伏見屋敷があったのです。
伊達政宗の伏見屋敷跡へ。
今は「海宝寺」というお寺になっており、自由にお参りできます。
伊達正宗手植えの樹。
説明。
美しい庭園。
境内の建物。
海宝寺をあとにして更に北進。
ノウゼンカズラの美しい花が。
藤森神社に到着。
藤森神社の鳥居には額がありません。
鳥居に額がないことの説明。
藤森神社の境内へ。
夏祭りか何かがあるようです。
藤森神社は「菖蒲の節句」発祥の地。
「菖蒲」にかけて「勝負」の神ともされています。
境内には、競馬と関係があるかもしれないこんな像もあります。
手水鉢。
この手水鉢の台座には、実は不思議ないわれがあるのです。
手水鉢の台座の説明。
この台座の石は、元は宇治・搭の島にある十三重の塔の石だったそうです。
菖蒲の節句ゆかりの像。
とても変わった木がありました。
この木は松なのです。
でもこれが松の木とはとても思えません。
白松(はくしょう)という名前だそうです。
「京都歩兵連隊跡」の碑。
この辺りはかつて陸軍京都歩兵連隊が置かれていたのです。
神社近くの民家玄関先には大日如来が。
師団街道を北進し聖母女学院前へ。
聖母のこのレンガ造りの建物は、明治建築を代表する西洋古典建築様式。
とっても素敵な建物です。
この建物は実は陸軍第16師団の司令部だったもの。
「師団街道」という名前でも分かるように、この辺り一帯は巨大な陸軍の施設があった場所。
宝搭寺への道との分岐点。
今日は急ぐので宝搭寺には寄りません。
疏水へ。
しばらく疏水沿いを歩くことにします。
琵琶湖から琵琶湖疏水を通り、そして岡崎公園を経由して流れてきた水。
この疏水は主に水運に利用されていたため、橋は舟の邪魔にならないように高い位置に設置されています。
また橋の下は、舟を引く人が通れる空間が確保されています。
疏水沿いの家の玄関先に、驚くほど大きい花が。
写真では大きさが分かりませんが、花の直径が20cm程もあります。
家の方がおられたので名前を聞くとアメリカ芙蓉とのことでした。
家の方の許可を得て写真を写させていただきました。
京阪電車の線路の下をくぐります。
頭上を轟音を立てて京阪電車が通過。
疏水の橋桁の下に変わったマークを発見。これって一体なんだろう・・・?
ナスビの接ぎ木の台木に咲くのとよく似た花が。
でもナスビの接ぎ木の台木とは違う雑草のようです。
遠くに京都タワーを視認。
疏水沿いの狭い道を歩きます。
気温は34℃を超えているような気がします。
とっても暑い時期なのに、なぜかここのカエデはもう少しばかり赤くなっていました。
一体どうなってんの?!(+o+)
こんな道を歩きます。
サクラの花の季節には素晴らしい場所です。
誰かが植えたのか、あるいは自生か。
狭い道脇にきれいな花が。
最近私は「工場フェチ」気味。
パイプラインが機能的に入り組んで設置されている工場を見ると、ついつい写真を撮りたくなってしまいます。
一輪のバラが路傍に。
JR奈良線の鴨川橋梁に到着。
京都〜馬場(今の膳所駅)を結んでいた旧東海道線の橋脚。
京都には、今でもそんな物が残っていたりするのです。
梅雨明けの美しい空。
鴨川。
梅雨末期の豪雨の影響が残り、水量がやや多め。
京都駅より北側の風景。
京都駅より北側と言えば京都市街地の中心部に近いところ。
だけど京都には、今も市街地中心部近くにこんな風景があるのです。
何だか不思議なものが。
一度入ってみたいなと思うのですが、いつ来ても閉まっています。
この日も閉まっていました。
五条楽園へ。
京都には売防法施行以前の姿が今でも残っている場所があるのです。
営業中の「お茶屋」さん。
五条楽園内では、過去にタイムスリップしたような風景を見ることができます。
遊郭の雰囲気が色濃く残る建物。
五条楽園をあとにして河原町通りを北上。
祇園祭の交通規制が行われている所までやってきました。
でも時刻はもう午後1時。
山鉾巡行開始は午前11時半なので、もう山鉾巡行は終わっている可能性が大。
巡行を終え、早くも解体を始めている山鉾も。
やはり来るのが遅かった。(T_T)
後片付けの様子。
これはこれで貴重な風景。
ブラブラ歩いていて、八坂神社で祈祷される「祈念ふろしき」なるものを見つけました。
こうしてみんなが願い事を書くのです。
何十万人という人出だったはずなのに、なぜか「祈念ふろしき」には書く余地が残っていました。
早速私も家族の健康を願った書き込みをしました。
特大のふろしきが。
巨大ふろしきの説明。
終わったと思っていた巡行はまだ続いていたようです。
黒主山が戻ってきました。
美しい黒主山。
山鉾は「動く美術館」などとも表現されるほど美しくて価値があります。
山が続々と戻ってきます。
次に浄妙山が戻ってきました。
浄妙山。
山の上部をズーム。
鯉が数多く描かれている大きな布がありました。
な、何と!
ぜひとも見つけなければ。
難なく発見。
このラッキーを皆様にもおすそ分け。
金色の鯉の写真を見ながら「幸せになりますように」と心で念じてください。
何と。
毎年鯉の数が増えていくようです。
凄い。
美しい黒主山。
今度は鯉山が戻ってきました。
お疲れ様!
整然と鯉山が進みます。
鯉山。
コインの看板がかかったお店。
そう言えば、こんな形のビスケットを以前はよく食べていました。
あのお菓子の名前は・・・・?
忘れてしまいました。
これは何山だったかな?
御池通りへ。
何と!
北観音山がまだ巡行中でした。
ラッキー。
北観音が曲がったあと。
竹を敷き、敷いた竹にお酒をかけて滑りを良くした上を曲がるのです。
お酒はこうして消防の水ですぐに水で洗い流されてしまいます。
北観音山の「おっかけ」を開始。
でもよくまあ、こんな狭い道を通れるなあ・・・・。(@_@)
ええもんどすなあ。
何がって?
そらあんさん、祭がですがな。
舞妓さん(?)も、民家の二階で祭り見物。
とても立派な北観音山。
ついに保管場所に到着。
ズーム。
手打ちがあります。
godzillaも唱和しながら手をたたこうっと。
挨拶がありました。
そして手打ち。
拍手ではなく、手を5回たたきます。
それを何度か繰り返しました。
3回だったかな?
お疲れさまでした!
後片付けが始まります。
巡行した山鉾に飾られていた柳の葉をゲット。
厄除けグッズですのでいただいて帰ることにします。
「動く美術館」と言われるわけがとってもよく分かります。
素晴らしい。
山の下部。
四条通へ。
月鉾発見!
鉾の先端。
金色の三日月が光っています。
実はあの三日月は純金製なのです。
間近で鉾の構造を眺めます。
目につく鉾を順番に観て周ります。
四条通の烏丸と河原町の間。
京都一の繁華街にも鉾がありました。
まさに京都ならではの風景。
山鉾を堪能したので帰路につきます。
京都駅目指してテクテク。
京都市街地中心部でも路地を一歩入るとこんな風景が広がります。
なんだかとっても懐かしさを感じる風景。
WAO!
五条天神社へ。
牛若丸と弁慶が出会ったのは五条大橋ではなく、ここ五条天神社だと言う説もあります。
お参りします。
五条天神社の近くの自動販売機にこんな物が売っていました。
♪仮面サイダー〜
仮面サイダー〜
サイダー
サイダー♪
なんて心の中で口ずさみました。
京都駅に到着。
京都駅からはもう歩かずに電車を利用。
JR奈良線・宇治駅に到着。
まだ帰らず今から宇治川を目指します。
宇治橋通り商店街へ。
夕刻の宇治橋通り商店街の風景。
とっても珍しい昭和初期の鉄筋コンクリート製の建物。
薬局として現役で使われています。
道を東西南北に碁盤の目のように整備する仕組みを「条里制」と言います。
条里制は京の都だけでなく、宇治にもかつてはその条里制が敷かれていました。
この道はその時の名残を残す道で、当時よりは広くなっているものの道そのものは条里制当時のルート。
道幅もかなり狭いです。
縣(あがた)通りを横断。
この道も条里制当時の道。
極端に狭いので、あるいは条里制当時の道幅なのかもしれません。
宇治川に到着。
何と!増水のため橘橋は閉鎖され搭の島への立ち入りは禁止になっていました。
宇治川が大増水していました。
ただ。
水の流れた跡を見ると、最大水量時よりは少し減水した模様。
それでも凄い水量です。
鵜飼舟も出番がありません。
ただひたすら水に耐えながら待機するのみ。
普段はこの橋の下には水が流れていません。
しかし今はこんな状態。
喜撰橋へ。
つながれた観光舟が水の流れで激しく揺れていました、
当然ながら喜撰橋へも立ち入ることはできません。
搭の島最南端。
増水した水が搭の島の南端を洗っていました。
激しい流れに翻弄される観光舟に別れを告げます。
帰路に。
縣神社に少しだけお参り。
提灯が太陽のきつい照り返しを浴び、まるで灯りが入ったように見えています。
やはり祇園祭はいいですねえ。
雨続きで歩けない日がずっと続いていましたが、梅雨が明け好天になったので久々に4万歩を超えるウオークをすることができました。
汗だくになったものの、とっても濃いいい時間を持つことができました。
ウオークって素晴らしい!!
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