今日は、槇島城を追うウオークをしました。
室町幕府が事実上崩壊する地になった槇島城ですが、その槇島城の存在は世間ではほとんど知られていません。


本日のウオーキング歩数、21,108歩。(うちエクササイズウオーク10,659歩)、消費カロリー693kcal。


2010年7月4日(日)




昨日の土曜日は一日中雨。
日曜日の今日は、午後遅くから日が差し始めました。
そこで自宅を出て、槇島城を追うウオークを行いました。
時おり日が差しますが、それでもとっても雲が多い状態。



茶畑。
品質の良さで有名な宇治茶の生産量は、日本の茶の生産量全体のわずか1%未満。
しかもその宇治茶の多くは、宇治市以外の宇治田原町や和束町などで生産されています。
そう考えると、宇治にある茶畑は極めて貴重な存在。



工場。
最近では工場やコンビナート(特に夜間の)ウオッチを趣味とする人が増えているそうですが、何となく分かります。
私も最近では「美しいな」と思う工場を見つけることがあります。
ここもその一つ。



旧宇治地区には、私が子どもの頃に見た風景が今でもいくつかこうして残っています。
嬉しい限り。



この建物も上に同じ。
いつまでも残っていて欲しい建物です。



槇島城を追う第1弾として、まずは槇島公園へ。



公園内にある「槇島城記念碑」。
これを見るためにここに来ました。
ただ、ここ槇島公園は槇島城の敷地外だったんです。
記念碑があるここが槇島城があった場所ではないのです。



槇島城の説明。
右下の図にある「現在地」は、槇島城敷地内のしるしではありません。
槇島城の北(上部)にあるしるしが、記念碑がある槇島公園です。
したがって、槇島公園は槇島城の外の場所だということが分かります。



かなり探しまわってやっと、槇島城のど真ん中だった「薗場(えんば)児童公園」に到着。



実はこの公園には先ほども来たのですが、子どもを遊ばせながら若いお母さんが二人ベンチに座っておしゃべりの真っ最中。
狭そうな公園なので、中に入ると不審に思われる雰囲気がありそそくさと先を急ぎました。
しかしいくら探しても分からないので再びこの公園にやって来て、やっと槇島城址の石碑を見つけました。



「此の付近 槇島城址」と刻まれた石碑。
しかしこの石碑は元々ここにあったのではなく、フレンドマートへ行く道との三叉路の角近くにあった倉庫の前にあったようです。
道を尋ねた地元の人にそう教えていただきました。



織田信長軍の進路と槇島城。
この地は、かつて存在した巨大な巨椋池(おぐらいけ)の島であった場所。
図を見ても、槇島は島であったことが分かります。
地方の豪族であった真木島(槇島氏などとも表記された)が築城したのが槇島城。
織田信長に兵を挙げた足利義昭は、真木島を頼って槇島城に入り籠城しました。
しかし信長勢の猛攻であえなく落城。
事実上、室町幕府はこの地でついえたことになります。



この薗場児童公園は、槇島城のど真ん中。
中心部だった場所。
義昭が脱出した後の槇島城は、伏見城築城後にその戦略的価値を失いやがて廃城してしまいます。



槇島城探索を終え、もう少し歩くことに。
この水門も見おぼえがあります。
私が子どもの頃からあった可能性が濃厚。



宇治川左岸堤防へ。
藤原一族の陵墓だった宇治稜の向こうに宇治市東部の山並みが見えています。
あの山は黄檗断層の活動でできた山ですが、驚くことに断層が動いた記録が全くどこにも残されていないのです。
ということは、前回黄檗断層が動いたのは、人が知らなかったほどはるか昔のこと。
「だから、次にいつ動いてもおかしくない危険な断層だ。」ということを、京大防災研究所の人から聞いたことがあります。
「京都は地震が少ない。」と言うのは明らかに間違いで、美しい京都盆地は活断層の活動で形成されたのです。
地震に備える必要性を痛感します。



井川排水機場。
宇治川が大増水すれば、宇治川に流れ込んでいる川は逆流してしまいます。
それを防ぐため、宇治川にはこうした排水機城が数多く設置されています。



対岸の京阪電車・宇治駅を見ます。



JR奈良線の宇治川橋梁。
奈良線複線化の最もネックになっているのが、この鉄橋部分だと思います。
複線にしようと思うと、宇治川橋梁を付け替えるか、あるいはもう1つ橋梁を新設しなくてはなりません。



宇治川橋梁。
私が小学生の時に、この鉄橋の下を歩いて宇治川を渡ろうとして途中で怖くなり引き返したことがあります。
またある時には、宇治川を歩いて渡ろうとしてこれまた失敗したこともありました。
今から思うと、よくもそんな無謀なことをしたものだと呆れてしまいます。



宇治橋を渡ります。
天ケ瀬ダムが放流中で、宇治川はかなり増水しています。



京阪電車・宇治線の宇治駅。
とってもユニークな建物です。



京阪電車宇治駅は、大阪湾からおよそ50kmの地点にあります。



宇治川橋梁を渡るJR奈良線の普通電車。



宇治川右岸の自転車・歩行者専用道から宇治川橋梁を望む。



宇治川右岸の茶畑。
宇治川右岸には茶畑がやや多く存在しています。



宇治稜の辺りでUターンし、再び宇治橋へ。
旧宇治橋の「三の間」が宇治橋東詰のここに保存されています。



保存されている三の間の向こうには、旧宇治橋の橋脚が。



宇治川右岸を南進。
「右 恵しん院  左 みむろ」と刻まれた石碑。



何やら風格ある建物が。



京都府茶業会館の建物です。



新緑が美しい宇治川右岸道路。



朝霧橋へ到着。



重文・宇治神社の鳥居。



こんな細い橋脚が1本だけで朝霧橋を支えています。
その橋脚が増水した宇治川の水に洗われています。



朝霧橋へ。



梅雨の中休みの美しい空。



お客さんの乗船を待つ鵜飼船。
鵜飼船の受付の人が、「日曜日なのに、雨が続くのでお客さんがほとんどいない。」と仲間と愚痴を話していました。



搭の島にある十三重の搭。
上から5番目の石は石川五右衛門に盗まれ新しくされたと、藤森神社の手水鉢の台石の説明には記されています。



かつては宇治川が増水すると、鵜飼が行われる派流でもかなり流れが速くなって鵜飼はできませんでした。
でも、上流を見ると小さな堤防のようなものが築かれ、派流が本流の流れの影響を受けるのを防いでいるようです。
だから宇治川が増水しても鵜飼の開催が可能になるんですね。


梅雨の合間の少しの晴れ間。
そんな僅かな時間を利用して素晴らしいウオークができました。
近場に素敵な場所があるって本当に素敵だなって改めて感じました。



ホームに戻る





inserted by FC2 system