今日は土曜勤務の代休で休み。
でも午後から雨との天気予報だったので家で待機。
しかし降りそうもないので午後から旧東海道線を追う1回目のウオークを行いました。
旧東海道線は、今の奈良線の線路の位置を稲荷付近まで走り、稲荷から先は山科を経由して馬場駅(今の京阪電車・膳所駅)方向へと延びていました。
今日歩いたコースは、京都駅〜小野(旧山科駅跡)。

本日のウオーキング歩数、26,711歩。(うちエクササイズウオーク20,238歩)、消費カロリー940kcal。

2010年6月14日(




京都駅に到着。
この駅舎の辺りに「御土居」があったはず。
そして仮に御土居跡に旧東海道線が造られたとしたら、この辺りが旧東海道線の線路があったことに。



頻繁に利用するJR京都駅ですが、京都駅そのものをウオークの目的地の一つにするのは、以前に行った御土居跡ウオークの時以来になります。



京都駅からJRの線路に沿って辺りを観察しながら歩きます。
京都駅からほんの5分程の場所にこんな所がありました。



JRの線路。
一番遠く(向こうの端)が奈良線の線路。



新幹線の鉄橋下から眺めるJR奈良線の鴨川橋梁。
かつて、旧東海道線の鴨川橋梁が架かっていた場所です。



JR奈良線の鴨川橋梁。
1984年の電化の後で行われた京都駅〜東福寺駅間の複線化工事で架け替えが行われました。
時期は2001年1月20日で、その夜たった一晩で据え付けが行われました。
鉄道ウイークリーの「2000/12/29 No.104-A」号には以下のような記述があります。
「▼JR西日本>奈良線鴨川橋梁据え付けは1月20日深夜に実施
 ○https://www.nifty.com/cgi-bin/go?nifty:FTRAINJ/MES/13/5383 」



旧東海道線をくぐる部分のレンガ造りの橋脚。
上部は、現在のJR奈良線の高瀬川橋梁です。
奈良線は電化に続き京都から東福寺までの部分複線化が行われたため、京都駅周辺の旧東海道線の遺構は一気に減少しました。
そう考えると、この橋脚は京都駅付近に残る旧東海道線の貴重な遺構です。
ただし、旧東海道線の遺構は煉瓦色の部分ではなく白くペンキ塗りされた部分。
今使われている奈良線の橋桁受けと比べると、旧東海道線の橋桁受けは低かったことが分かります。



別角度から。
大正10年の東海道線の路線変更で、京都駅〜稲荷駅〜山科駅〜大谷駅〜馬場駅間の旧東海道線の路線は廃止されました。
その線路跡に奈良線が敷かれました。
しかし実は、旧東海道線が廃止された時点で奈良線は既に全通していたのです。
にもかかわらず、この上を通っていた旧東海道線の廃止に伴って奈良線は路線をわざわざこの旧東海道線跡地に変更。
その理由は、線路状態が良かったからだとされています。
それ以来、旧東海道線が走っていたこの線路跡をを奈良線が桃山近くまで走ることになり今に至ります。
奈良線が旧東海道線跡に路線変更したことにより不要となった京都駅〜桃山駅手前までの旧奈良線の線路跡は、奈良電気鉄道(今の近鉄京都線)に払い下げられ、近鉄京都線として頻繁に電車が行き来する近鉄の重要路線となっています。



奈良線(旧東海道線)が疏水を渡る部分を観察するため、手すりがない人道橋で疏水を渡ります。



鴨川橋梁をJR奈良線の普通電車が渡って行きます。



ズーム。
橋の取り付け部分に遺構らしきものが見えますが確認はできません。
会社の私有地なのであそこまで行くことはできないし、反対側も道がありません。



疏水から降りて下の道路へ。
JR奈良線鴨川橋梁の下に旧東海道線の遺構が見えています。



石垣の向こう側は疏水の流れ。
鴨川を渡る橋の橋脚が実に丁寧に仕上げられていることに、橋を造った当時の人々の心意気を感じます。
橋脚は今も奈良線の鴨川橋梁を支えているようにも見えますが、上部には大きな空間がありこの円形の橋台は今はもう使われていません。



奈良線の線路の横を歩く道がないので、疏水沿いを南に歩きます。
階段があってその先には何もない構造物がありました。
おそらく疏水の橋が架かっていた部分。



伏見街道と刻まれた石碑。



酒どころ伏見らしい風景。



街道第三橋。



単線の奈良線で複線化されている部分。
当初は京都駅〜東福寺駅間と宇治駅〜新田駅だった複線部分が、現在では京都駅〜JR藤森駅間と宇治駅〜城陽駅までに延びました。



伏見街道を離れて疏水沿いの道へ。
きれいな花が咲いていました。



ズーム。
アジサイのように思ったのですが葉がアジサイとは違います。
何の花?



踏切完成記念碑。
伏見街道から疏水沿いへJRの小さな踏切を渡りました。
どうやら最近できた踏切のようです。



稲荷に到着。
かつてここを大津駅・馬場駅(今の膳所駅)行きの陸蒸気が走っていたんですね。



伏見稲荷大社。
平日なのに人出が多いのに驚きます。



JR稲荷駅。
ほぼ真南に延びている奈良線は、この付近から南南東に向きを変えます。



稲荷駅敷地内にある「ランプ小屋」。
旧東海道線で唯一残された建物で、しかも国鉄最古の建物。
当時の陸蒸気は前照灯以外の全ての照明はランプを使用していました。
そのランプの手入れをしたり、ランプ用の油類を保管する場所で、火災に備えて頑丈なレンガ造りとなっています。
この建物は当初の大きさのおよそ半分ほどだということですが、見学の時に確認しようと思います。



ランプ小屋の説明。



奈良線沿いを歩く道がないので、線路に近い歩ける道を蛇行しながら前進。
宝搭寺前を通過。



こんな楽しげな看板がありました。



深草は月が名所で、うずらでも有名な里だったようです。



蔵のある家。
とってもいい天気になってきました。
午後から雨が降り出し夕刻には雨脚が激しくなるとの天気予報は大外れ。



JR奈良線の奈良・宇治方向(南側)の線路を望む。
京都駅から南南東に延びてきた奈良線の線路は、この少し先の左側に家がある辺りで不自然に右にカーブし真南に進路を変えます。
その理由は、旧東海道線の線路跡に南南東に敷設されたJR奈良線の線路は、この先の左側に家が建っている付近で旧東海道線跡を離れ奈良方向に延びていくからです。
この先の左側に家が建っている付近が、旧東海道線と奈良線の分岐点。
この先の左側の家は、旧東海道線の線路跡に建っていることになります。
旧東海道線はカーブせずこのまま直線的に延びて家が建っている辺りを越え、もう少し先から左に大きくカーブして東に進路を変え山科方向に延びていたのです。



民家の玄関前にきれいなゆりの花が。



ズーム。



名神高速道路の下をくぐります。



きれいな空!
この先でJR奈良線の高架をくぐって南南東に進路を変えます。



深草谷口の交差点を目指します。
この道路が旧東海道線の跡地である可能性が極めて濃厚。



深草谷口交差点から府道35号線へ。
府道35号線は、旧東海道線の線路に沿って延びる道路。
つまりこの府道が旧東海道線の跡地と言えます。



木々の緑と青空。
汗だくの辛さを忘れさせる風景。



名神高速道路に沿う道になりました。
旧東海道線は、ここから先は名神高速道路に姿を変えています。
正確にはこの名神高速道路の向こう側の細い道が線路跡地の一部ということになります。
だからここから先の府道は旧東海道線の線路跡ではありません。



名神高速のトンネルの下をくぐって行ったり来たりしながら勧修寺観光農園通過。
この辺りから東海道新幹線を越える辺りまで、名神高速道路は旧東海道線跡ではなく線路跡の少し東側に延びることになります。



勧修寺近く。
白百合の花がとってもキレイ!



勧修寺へ到着。
古い石碑が。
時間がないのでお参りはせずに先を急ぎぐことにします。
今日は絶対に午後5時までには家に着いていないといけないのです。



名神高速道路の起工地に立つ巨大石碑。



今日の最終目的地に到着。
旧山科駅跡地です。



名神高速と旧東海道線との関係図。



「名神高速道路起工の地」の石板。



「旧東海道線山科駅跡地」の石碑。



大正5年の山科駅の姿。


旧東海道線を追うウオークを開始しました。
あと1回か2回で歩き終わるので、天気がいい時を選んで歩きたいな。
そして稲荷駅の「ランプ小屋」もぜひとも見学しなくては。



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