今日は、山科を歩きました。

本日のウオーキング歩数、31,151歩。(うちエクササイズウオーク21,557歩)、消費カロリー1,068kcal。


2010年5月29日(土)




地下鉄東西線で「東野」駅へ。
駅から降り、こんな風景を眺めながら妙見寺を目指します。
ところが道を間違い反対方向へ。(T_T)



かなり周り道をして、やっと妙見寺近くへ。
ウオーク歩数はもう8.000歩近くになっていました。



妙見寺に到着。
ここに来た目的は、旧東海道線で走り始めた陸蒸気(おかじょうき)の引き込み線(スイッチバック用)跡を見るため。
明治になり、日本で最初に鉄道路線が開通したのは新橋〜横浜間。
2番目が、京都〜神戸間。
そして3番目が、京都〜大津間。
その京都〜大津間は、当初は京都駅を発車したSLが稲荷駅・山科駅に停車した後、滋賀県の大谷駅までしか運行されていませんでした。
京都〜大津間が全線開通し馬場駅・石場駅を経由して大津駅まで行けるようになったのは、旧逢坂山トンネルが開通してからのこと。
その京都駅〜大谷駅間で特に傾斜がきつくなる山科〜大谷間は、陸蒸気と呼ばれたSLではパワー不足で上れないためスイッチバック方式が取られていました。
その時のスイッチバックの引き込み線跡が、何と!今でもこの地には残っているのです。



妙見寺へ。
本堂へお参りしてから境内を周りますが、それらしきものはどこにも見当たりません。



妙見寺を出て向かい側を見るとこんな鳥居が。
ひょっとしたら、ここにあるのかな?



ありました!
単なるレンガですが、これこそが今でも唯一残る貴重な「旧東海道線のスイッチバック用引き込み線の跡」なのです。



琵琶湖疏水の建設の際に利用されたレンガは、山科で生産される「との粉」用の土が利用されたらしいのですが、このレンガもそうなのでしょうか。



旧東海道線の山科駅は明治12年に営業運転が開始されましたが、その時の山科駅は今の場所ではなく現在の地下鉄小野駅近くにありました。
その山科駅を発車した陸蒸気は、この辺りでスイッチバックを繰り返しながら大谷駅を目指して次第に標高を上げていったのです。



妙見寺を後にして名神高速道沿いに東進。
今日の名神高速はガラ空きです。



何とも素敵な建物が。



いいですねえ。



トイレに行きたくなったので、国道1号線に着いてからトイレを探しますがどこにもありません。
「東海道57次」の旧街道をしばらく進みましたがないので戻りました。
「駅に行ったらトイレはあるだろう。」と考え、京阪電車京津線の追分駅へ。
でも駅にも駅前にもトイレはありませんでした。(T_T)
駅前の案内板を見て「稲葉台」の文字を見つけ、先週道を間違って入り込んだ山の位置を再確認。



この山の向こうがおそらく稲葉台のはず。
登るとあれほど標高が高かったのに、こうして見るとさほどでもありません。
おそらく、見えていない部分がもっともっと奥に広がっているんでしょうね。



「東海道53次」の道を進み国道1号線にあったガソリンスタンドでやっとトイレを借りることができました。
ホッとしながらUターンし先ほど国道1号線に着いた位置まで戻り逢坂山の坂を上がります。
月心寺が見えてきました。



この辺りはとっても風情があります。



月心寺へ。
歌川広重の描いた「東海道五十三次」の大津の錦絵に描かれている茶店がここだとされますが、その茶店の跡地となった場所には住む人もなく荒廃していました。
日本画家の橋本関雪(はしもとかんせつ)が大正時代の初めに建物が朽ちていくのを惜しんで自分の別邸にし、その後月心寺となりました。
今ではここで精進料理や庭園が楽しめます。
珍しく今日は戸が開いています。



月心寺内へ。
走井の名水を初めて見ることができました。
歌川広重の描いた「東海道五十三次」の大津の錦絵には、こんこんと湧く「走井(はしりい)の水」の近くの茶店で旅人が休息している姿が描かれています。



説明。
名水として広く知られた走井の水は、多くの詩歌や文学作品に書かれていて古くから有名。



水量は少なめ。



月心寺をあとに。



江戸時代にはこの辺りで大津算盤が売られていました。
この辺りは日本算盤の発祥の地だとされています。



説明。



テクテク。



道路わきに美しいバラの花が。



京阪電車の大谷駅に到着。
旧東海道線の大谷駅もこの辺りにありました。



プラットホームにあるベンチ。
左右の脚の長さが違います。
これは、急峻な地に建つ駅舎なので駅やホームが傾いているがゆえ。



ベンチの椅子の脚の長さを変え座る面を水平にしてあるため、乗客はこうして普通に腰かけることができるのです。



駅前の説明碑。
かつてこの辺りが深い谷間道だったことからついた地名が「大谷」だと記されています。
予定ではここ大谷駅のベンチを見た後は、琵琶湖疏水沿いまで戻り山科の疏水関連のものを探索するはずでした。
でも天気がいいので琵琶湖が見たくなり予定変更。
今から浜大津を目指すことに。



「日本一のウナギが食べられる」とされる、ウナギの「かねよ」前通過。



逢坂の関へ。
古来から交通の要衝であった逢坂には関が置かれていました。



車石。
1704年から2年間かけて敷設されました。
大津港で陸揚げされ京都へ運ばれた米俵などの輸送に使う牛車が泥で車輪を取られることを防ぐため、大津〜京都間に敷設された石です。



この窪みに牛車の車輪を入れて運ぶ仕組みは、当時としては画期的な街道整備でした。



逢坂の関址。
山城国と近江国との国境でもあり、東海道と中山道(当時は「東山道」)の二つの街道が通る重要な関がここ逢坂関でした。



逢坂の関址から下りに。
名神高速道の下を通過。



旧逢坂山隧道の東口へ。



説明。



旧逢坂山隧道。
逢坂山隧道は日本で最初の山岳隧道で、外国人に頼らずに日本人だけの手で完成させた記念すべき隧道。



隧道上部の扁額。
この額は、竣工を記念して当時の太政大臣・三條実美の筆により「楽成頼功」と書かれています。
「落成」ではなく「楽成」となっているのは、落盤に通じる「落」の文字を避けたからだとか 。



1880年6月1日に完成した逢坂山隧道の下り線内部。
隧道は、鉄道としての利用が停止された後もしばらくは通路として利用されていました。
また、戦争中は爆撃を避けるため工場が置かれ、敗戦後の一時期には戦火で住まいを失った人々の住居としても利用されたようです。
今は京大防災研究所の施設として地震データを取るための施設として活用されています。



隧道は「近代化産業遺産」に指定されています。



もう1本のトンネル。
こちらは上り線ですが、内部には全く入れません。



旧逢坂山隧道を後にして、関蝉丸神社へ。



紀貫之の歌で有名な「関の清水」。
今はもう枯れている模様。



謡曲史跡保存会の説明板。
ここ関蝉丸神社は平家物語や謡曲「蝉丸」にも名前があり、古くから歌舞音曲の神として知られています。



こんな石碑も。



重文の石灯篭。



石灯篭の説明。



関蝉丸神社専用の踏切が閉まります。
京阪電車の通過です。



列車通過後に線路を見るとこんな装置が。
どうやら線路に水をかけている模様。
何度か見た風景ですが冬期に見ることが多かったので、これまでは「凍結防止かな?」って思っていました。
今日、関蝉丸神社の踏切で電車通過を一緒に待っていた人に「なぜ線路に水をかけてるんでしょうかねえ?」と尋ねると、「急傾斜のカーブなので線路がかなりきしむ音を立てます。それを防ぐためです。油を塗ると音はしなくなるもののスリップしてしまいます。だからこうして水をかけているのです。」と教えてもらい疑問が氷解。
その方はトンネルの写真を撮りに来られたということだったので、妙見寺内に今も残る陸蒸気の引き込み線跡の情報を提供すると、とっても喜んでおられました。
過去に琵琶湖疏水のトンネルを通ったこともあると話しておられたので、大学の先生かなんかだろうなと勝手に想像しながら別れの挨拶を交わしました。



レンガ造りの蝉丸跨線橋。
1921年(大正10年)の東海道線の京都〜大津間の線路変更に合わせて建設されました。
この先数十メートルは明かり取り区間で、その奥に現在の東海道線・新逢坂山トンネル東口があります。
今の東海道線はこの位置では複々線です。
左が下り線の外側線路で、右が下り線の内側線路。
ちなみに。
明治・大正時代の建築物にレンガ造りが多いのは当時はコンクリートが貴重品だったため。
コンクリートの使用を最小限にしようとして建材にはレンガが多用されました。
蛇足ですが、このトンネルの上には京阪電車の線路が通っています。



浜大津方面へ更に歩を進めます。
古本屋さんがありました。
本だけでなく建物もなかなか味があります。



京阪電車・京津線の4両編成の列車が、赤信号で車と共に停止しています。
4両編成の電車が路面を走るのは日本で唯一ここだけ。
先ほどの線路に水を噴射してキーキー音を軽減させる設備といい、京津線の列車は実にうまく街や人と共存していると感じます。



浜大津港に到着。
外輪船ミシガンが出港していきます。



何ともラッキー!
花噴水が稼働中で、しかも夕陽の光線で虹が見えていました。
素晴らしい風景をしばし時間を忘れて眺めます。
でも少しすると結構寒くなってきました。
間もなく6月になろうというのに、本当に今年の気候は一体どうなってんの!?



ミシガンが先ほど出港したものpの、今はビアンカが停泊中。
ビアンカは実にいい面構えをしていますねえ。
私はビアンカが大好き!



前方側面。



後部煙突付近。



色々な船を見ながら浜大津港の湖岸を歩きます。
これは、双胴船「はっけん号」。



消防艇。



湖面に延びる遊歩道。
先端が岸からちょうど花噴水の位置あたりまで延びています。
寄りたかったのですが、今日は夕刻に用事がありますので残念ながらパス。



大津駅を目指します。
京阪電車・石山線の踏切脇に石地蔵が固めて置いてありました。
線路建設の際に出土したものでしょうか。



「旧東海道」の文字。
私も継続中(凍結中)の東海道ウオークでこの道をかつて通過しました。



大津駅着。
さて帰路に!



山科と大津。
東京出身で今はスイス在住の春さんは、かつて私に「京阪の概念は分かるものの京滋の概念がイメージできない。」と話しておられました。
もし春さんや春さんと同じように考えておられる方が、ここ数回連続している京滋関係の「チャリ旅」レポートを見てくださったらいいなって思います。
少しは「京滋」の位置関係の理解の手助けになるかもです。
旧国鉄の旧東海道線関連施設跡を、琵琶湖疏水と同じように、あと何回か追って歩いてみたくなってきました。


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