今日は快晴。
昼前から、琵琶湖を観るために浜大津へ行きました。
モスラ号で行こうとしたんですが、モスラ号のタイヤの空気圧が極めて低め。
空気を入れようとしたんですが、モスラ号に長らく乗っていないためフレンチバルブ用のタイヤに空気を入れる環境がありませんでした。
やむなく、「あおぞら」で琵琶湖往復。

2010年5月3日(月)




隠元橋を渡り、隠元禅師登岸の地へ。






六地蔵から山科川沿いの自転車・歩行者専用道へ入ります。



山科川が分かれている部分。
よく間違ってむこう側へ行ってしまうのですが、今日も間違えかけたものの早めに気付きUターンしてこちら側へ。
むこう側へ行ってしまうと川を渡る橋がずっとなく、かなり遠回りになってしまうのです。



男の子が二人水遊びをしていました。
平和で穏やかな風景ですが、大雨が降るとこの山科川の表情は一転し人々に牙をむく「暴れ川」なのです。
宇治市で学童保育が始まったのは、この山科川の増水で犠牲になった子どもの事件がきっかけだとされます。



醍醐寺へ。
安全かつ近道なので、境内を通り抜けることにします。



境内は緑のトンネル。



醍醐寺三宝院の前へ。



有料ゾーンである三宝院にも素晴らしい緑のトンネルが。



橘女子大学の付近から名神高速沿いへ。
味気ない道ですが、こうした花ミズキの花が時おり咲いており嬉しい限り。



昭和の、あるいはもっと以前の建物かもしれません。
とってもいい建物がありました。
一度通り過ぎたのですが、Uターンしてしばし建物ウオッチ。



進行方向左側の名神高速道路をフェンス沿いに見ます。
京都東インター辺りから、渋滞に近いノロノロ運転の模様。



月心寺。
提灯の「走井」と書かれた反対側には「交通安全」と書かれています。
夜間にここを通ると、逢坂山の長い下りをぶっ飛ばしてきた目にこの提灯の暖かい灯りが優しく、「安全運転を!」と自分に再度言い聞かせるきっかけになります。



月心寺の玄関内。
歌川広重の描いた「東海道五十三次」の大津の錦絵には、こんこんと湧く「走井(はしりい)の水」の近くの茶店で旅人が休息している姿が描かれています。
その茶店が、この月心寺だとされています。
名水として広く知られた走井の水は、多くの詩歌や文学作品に書かれていて古くから有名。
茶店の跡地となった場所には住む人もなく荒廃していましたが、日本画家の橋本関雪(はしもとかんせつ)が大正時代の初めに建物が朽ちていくのを惜しんで自分の別邸にし、その後月心寺となりました。
今ではここで精進料理や庭園が楽しめます。



逢坂山越えの途中で、旧東海道へ。
「日本一」のウナギ料理で有名な「かねよ」前通過。
昼食時を少し過ぎているのに、複数ある「かねよ」の駐車場はどこも満車。
さすが「日本一のウナギ処」です。



逢坂山を上がり切りました。



逢坂山関址。
ここからは「お楽しみ」があります。
それは、ここから浜大津までの長大な下り坂!
車と遜色ないスピードで走れる素晴らしいコースなのです。



下りの走りを楽しんであっという間に「旧逢坂山隧道(ずいどう)」に到着。



旧隧道は鉄道記念物に指定されています。



旧隧道の説明。



逢坂山隧道は日本で最初の山岳隧道で、外国人に頼らずに日本人だけの手で完成させた記念すべき隧道。
トンネル上部にあるこの額は、竣工を記念して当時の太政大臣・三條実美の筆によりますが、「楽成頼功」と書かれています。
「落成」ではなく「楽成」となっているのは、落盤に通じる「落」の文字を避けたからだとか 。



1880年6月1日に完成した逢坂山隧道の内部。
隧道は、鉄道としての利用が停止された後もしばらくは通路として利用されていました。
また、戦争中は爆撃を避けるため工場が置かれ、敗戦後の一時期には戦火で住まいを失った人々の住居としても利用されたようです。



隧道は「近代化産業遺産」に指定されています。



2本ある隧道の1本は、内部には入れません。



トンネルは現在、京大防災研究所が地震研究のため使用。
そのため、隧道近くには京大のこんな建物が。
この建物があり、入口にはチェーンがかけられているため、ここが隧道跡だと思う人は少ないはず。
交通量が多い道路脇にあるにもかかわらず駐車スペースもなく、私は何度ここに来ても出入りする人を見かけたことは皆無。
旧逢坂山隧道は、実にひっそりとたたずんでいます。



陽光溢れる浜大津港に到着。
外輪船ミシガンが出港間近でした。



ミシガンが出港。



学習船「うみのこ」。
ビアンカは航海中の模様で不在。
滋賀県の子ども達は小学校5年生になると、学習航海でこの「うみのこ」に乗るようです。
滋賀県の小学生はいいなあ・・・・・。



「うみのこ」を眺める「あおぞら」。



「うみのこ」のブリッジ上部。



船体側面に「Mother Lake」の文字が。
私達にとっては、琵琶湖はまさにその表現通りの存在なのです。



「エコフロート」がありました。
固定でなく船のような桟橋のようです。
以前にはなかったように思いますが、上部の緑は人工芝ではなく植生です。
いいなって思いますが、波もないのに傾いたままなのがちと気になります。



双胴の「はっけん号」。



消防船。



船体上部に2基の放水銃。
船体下部にも2基あるので、放水銃は全部で4基あるようです。






湖と書いて「うみ」と読むことが納得できるそんな風景が眼前に広がります。



以前来た時にはこんな物はありませんでした。
湖にせり出した形で遊歩道が伸びています。



遊歩道は琵琶湖花噴水の
位置で直角に曲がり、花噴水方向に少し延びて行き止まりに。
こんな沖に来ることができる遊歩道ができたことが嬉しい限り。



琵琶湖花噴水を望む。



出港したミシガンを視認。



琵琶湖文化館。
2008年3月31日に閉館しました。



文化館近くにこんな場所が。



「明智左馬之助・湖水渡りのところ」です。



大津プリンスホテル方向へ走ります。
巨大常夜灯前へ。



プリンスホテル前の桟橋に、先ほどのミシガンが停泊。
家族で、そして子ども達が大きくなってからは夫婦でこもミシガンに乗ったことがあります。
クルーズのコースはいくつかありますが、私が乗ったコースはここプリンスホテル前から琵琶湖大橋付近まで行き浜大津港へ帰港するもの。
あまりにも距離が短く拍子抜けしたことを思い出します。
もっとも、ミシガンの旅は距離でなく雰囲気を楽しむものなんでしょうが。



プリンスホテル前からは結構多くの人がミシガンに乗り込みました。



ミシガン出港



芝桜の群生。
いい香りですが、花の数が多いだけにむせ返るような強烈な香りが辺りに漂います。



時間があまりないので今日の行動はここまでとし、プリンスホテル前でUターン。
再び浜大津港ターミナル方面へ。
「みずすまし2世」が停泊中。



浜大津港をあとにして帰路に。
京阪電車・浜大津駅前通過。



歴史が古い浜大津には、こうした建物が幹線道路沿いに今でも建っています。



旧東海道の大津宿本陣跡。



本陣跡に建つ石碑。



逢坂山の坂を汗をかきかき上り、下りを快走。
下り終え、再び名神高速沿いへ。
名神では相変わらず上り線の渋滞が続いていました。



山科には新幹線がとっても良く見える場所があります。



京都駅を発車してさほど時間が経っていないので、ここからは速度がさほど速くない新幹線を観ることが可能。



時間がせいているので最短距離で帰宅することに。
山科には東山中学・高校のグラウンドがあります。
そのグラウンドを周り込むコースを走ります。



何度見ても不思議なもの。
山肌を縫うあの道です。
あの道は一体何でしょうか・・・・。
写っているフェンスは東山中学校・高校のグラウンドのもの。



山科のしっとりと落ち着いた家並み。



醍醐寺に到着。
浜大津からここまでは40分程でした。



三宝院山門。



山門を守る仁王像。
山門に向かって左側です。



向かって右側の仁王像。



宇治まで戻ってきました。
宇治市に残る数少ない戦時遺構である「宇治弾薬庫・引き込み線跡」の高架堤防を眺めます。



京阪電車宇治線・木幡駅近く。
きれいな花が咲いていました。
アジサイのようです。



宇治橋東詰に到着。
人も車も多め。



無事に帰宅。
玄関で、先日購入したアジサイの花が私を出迎えてくれました。
陽があまり当たっていないので写真で見る限りでは鮮やかさはさほど感じませんが、素晴らしい色の花です。



これはアジサイと同じ時に買った西洋シャクナゲ。
これも一目見て欲しくなり購入しました。



素晴らしい天候に恵まれた琵琶湖行き。
琵琶湖って本当に素晴らしいなって心から思います。



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