今日は、2010年の京都市街地花見ウオークを敢行。
おりしも今日4月10日は私の誕生日。
「これからもパワフルに生きなければ!」ということを確認するウオークにもなりました。

本日のウオーキング歩数、27,744歩。(うちエクササイズウオーク18,078歩)、消費カロリー980kcal。

2010年4月10日(土)




自宅の庭に植えたチューリップの花が、朝日を逆光で浴びて神秘的とも思える輝きをしています。



アイリスの花も花盛り。



ズーム。
素晴らしい花の季節になりました。



経費削減のため自宅で早めの昼食を終え、京都駅へ。
左側に見えている電車はサンダーバードです。



京都駅を起点にウオーク開始。
青空に映える京都タワーを眺めます。



五条楽園内に入りました。
高瀬川沿いを北上。



高瀬川に架かる「簡易橋」。



五条楽園にある営業中の「お茶屋さん」。
売防法施行以前の姿が今でも京都には残っているのです。



かなり減ってきているものの、旧遊郭の建物は今でも数多く現存。
そして今でも一部は「お茶屋さん」として、その他の建物は多くが住居として利用されています。



旧遊郭の建物の玄関。
国指定の保存建築物にでもなって長く残って欲しい建物です。



「五条楽園」の文字が。



ここにも営業中の「お茶屋」さんが。
「となりのトトロ」を連想するような提灯がぶら下がっていました。



お茶屋さんの向こうは鴨川の流れ。



ステンドグラスでしょうか。



わお!
この店は反対側はお茶屋になっているのかな?
ここを見て少し経ってから、ここ五条楽園に多くの消防車が押し寄せ大混乱することになるとは、この時点では全く想像さえしていませんでした。



ここは、旧・五条新地。
安土桃山時代に新地として誕生し江戸時代には島原の飛び地として栄えた五条新地は、かつて日本最大の花街だったのです。



不思議な話が伝わる河原院址。
京都の魔界のひとつです。



河原院址にある祠。
河原院と何らかの関係がありそうですが、詳細は不明。



突然、激しくサイレンを鳴らしておびただしい数の消防車が五条楽園に殺到して来ました。
どうやら火事のようです。
消防隊員が素早い行動で放水の準備をして五条楽園内へ突入していきます。
でも、私には煙や炎は全く見えないのでどこが火事なのかさっぱり分かりません。



五条楽園内は道が狭いため大型のタンク車は入れず、こうした小型の運搬具でホースを伸ばします。
素早い動作で放水準備が終わりました。
でも・・・・・・・。
隊員の足が止まってしまいました。
どうやら出火元が不明の模様。



火も煙も見えません。
救急車からはキャスターがおろされ、救急隊員が駆け足で「現場」へ向かいましたがそれもしばらくして再び救急車へ格納されました。



五条楽園内で「事情を聴け」と隊員が大声で怒鳴っていました。
どうやらボヤか誤報だったようで、通報した関係者も見つかった模様。
ホッとして河原町通りへ向かいます。
写真左端にある「とまれ」の道路標識の先が河原町通り。
「河原町通り」の名前は、今の五条楽園内にあった「河原院」からついたとされています。



五条楽園を後にして北上。
久々に命婦(みょうぶ)稲荷へお参りすることに。
命婦稲荷には鉄輪(かなわ)の井戸があります。



命婦稲荷へは、この戸を開けて入ります。
「鉄輪ノ井戸入口」と書かれた横には個人名の表札がかかっています。
最近でこそ慣れましたが、初めてここに入った時にはとっても勇気がいりました。



「鉄輪ノ井」の由来。



まずはお参り。



鉄輪の井戸。
ずっと水が湧いていたのですが、地下鉄工事で水が枯れてしまいました。
では「縁切り」をしたい人はどうしているのかと言うと・・・・。
最近では、この井戸の横にペットボトルに入れた水を置いて、少ししてからその水を回収して「利用」しているようです。
嗚呼、男と女。



京都の魔界を紹介する本にも載ったことがあるお稲荷様。



鉄輪の井戸近くに湧く名水。
この水は、縁切りには利用されていないようです。



命婦稲荷を後にして更に北進。
うるしの店がある風景は、あるいは京都ならではかも。



鴨川沿いの枝垂れ桜を観るため、松原橋を渡ります。
この松原橋は、牛若丸と弁慶が出会ったとされる橋。
今の五条大橋の近くには牛若丸と弁慶の像がありますが、当時の五条大橋は今の五条大橋ではなく実はここ松原橋だったのです



素晴らしいサクラの花と京都らしい風景。
最高です。






「京おどり」の提灯。
祇園甲部歌舞練場で行われるのは「都をどり」。
それに対しここ宮川町の歌舞練場で行われるものは「京おどり」と呼ばれています。
京都にはその他にも、上七軒の「北のをどり」、先斗町(ぽんとちょう)の「鴨川をどり」と言った花街のおどりがあります。
ちなみに。
京都には、祇園甲部、宮川町、上七軒、先斗町、それに祇園東の5つの花街があり、舞妓はこの5つの花街にしかいません。



宮川町の歌舞練場。



素晴らしい風情。



鴨川沿いへ。
川端通りを北進。



間もなく川端四条。



鴨川で釣りに熱中する太公望。
市街地中心部に清流が流れる京都のこの素晴らしい環境を、私達はいつまでも残していかなくてはなりません。



鴨川沿いに咲く素晴らしい枝垂れ桜。



サクラに清流はとってもよく似合います。



ソメイヨシノは落下盛ん。



出雲の阿国(いずものおくに)像前を通過。



美しい枝垂れ桜の花を観ながらどんどん北進。






これもサクラの花なんでしょうか。



すごくきれい!
サクラの花ではなくハナカイドウでした。



いいですねえ。



鴨川から外れて辰巳大明神へ向かいます。
もう山吹の花が咲いていました。



白川の清流。



辰巳大明神へお参り。



とっても別嬪(べっぴん)の体験舞妓さんを発見。



いいですねえ・・・・。
しばし見とれます。



ここら一帯では中華料理屋さんの建物まで風情があります。



再び鴨川沿いへ。
美しい枝垂れ桜を眺めての歩きは最高。



駅伝の歴史が京都から始まったとは知りませんでした。



鴨川畔から離れて琵琶湖疏水沿いへ。
新緑の緑が鮮やか。



夷川疏水発電所の流れ。
初めてここを観た時には「京都市街地にこんな場所があるなんて。」と驚いたものです。
京都は実に様々な顔を持っているのです。



平安神宮の超巨大鳥居。
大きすぎて、近くからでは全体を写真に写すことができません。



疏水を進む十石船。



疏水記念館近くにの「巨大な輝き」像。
水門を開ける男と開かれた水門からキラキラあふれ出る命の水がモニュメント化されています。



南禅寺から哲学の道へ行こうと思っていたんですが、南禅寺のサクラの花はもう終わっていました。
哲学の道沿いのサクラも同様だろうと判断して、哲学の道にはいかず黒谷を目指すことに。



白河院と法勝寺跡。



説明。



いい雰囲気のお店。



黒谷(金戒光明寺)へ。
ここ金戒光明寺は浄土宗の総本山です。



極楽橋が架かる蓮池にはサクラの花びらが浮かんでいました。



黒谷をあとにして西進。
吉田山を目指します。
きれいな花が。



標高を上げます。
振り返ると如意ヶ岳(大文字山)の姿が。
天気が良く気温が高いので汗だくになりました。



吉田山に到着したら、お稲荷さんの境内でした。
私は今ひとつ、東側から吉田山に登る道が分かっていません。



旧制三校の学生が嬉しいにつけ悲しいにつけ、いつも口ずさんでいた歌「紅もゆる」の記念碑へ。



歌詞を見ていると、横に立っていたお婆さんが「懐かしいなあ。角帽かぶってマント着て、高下駄はいて学生が歩いとったわ。」と独り言。
本当に懐かしそうでした。



吉田山を下山し京大前へ。



通称「ゲバ字」で書かれた立て看。
久しく見なかったゲバ字で書かれた立て看を見て、「お!これでこそ大学だ。」なんて思っちゃいました。



実はgodzillaもゲバ字を書くのがとっても得意だったのです。



ゲバ字の立て看の近くにはこんなものも。



西進して御所を目指します。
結構歴史がありそうな建物前通過。



♪若い 血潮の予科練の〜
字が違うっての。(+o+)



鴨川畔へ。
親子連れが水遊びをしていました。



大学のサイクリングクラブ。
ユニホームを借りたり買ったりする前にヘルメットを用意しなくては。
落第点ですな。



京都御所へ。



京都御所には素晴らしい枝垂れ桜の木があります。
日が陰ってきて写真で見る枝垂れ桜があまりきれいに写っていないのが残念。



用事があり午後5時までに帰宅しておく必要があります。
そろそろ今日の行動を終えることに。
地下鉄今出川駅から電車で帰るので、ここから今出川駅まであと少し歩いて本日のウオーク完了。



帰路で乗ったJR奈良線の電車が、城陽市内の踏切の人身事故で遅れました。
帰宅してニュースを見て、3歳の女の子が踏切で電車にはねられて亡くなったそうです。
いたましい事故に心が痛みます。


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