いい季節になりました。
間もなく本格的な工事が始まり、工事が始まると5年間ほどは見ることができなくなる姫路城の天守閣。
その姫路城へ、妻と共に「青春18切符」を使って行って来ました。
姫路城へ行くのは、我が愛車である「モスラ号」で自走日帰りラン以来。
2010年3月31日(水)
京都から姫路までは意外に早く行け、京都駅から新快速でおよそ1時間半。
姫路駅の観光案内所で姫路城や書写山にお得な価格で行くことができる「パスポート」を購入。
その際、「時間が速なるほど姫路城が大混雑するので、とにかく最初に姫路城に急いでください。」とのアドバイスをゲット。
そこで姫路駅から姫路城へはさほど距離はありませんがタクシーで移動し、姫路城へ到着。
城内へ。
「天守閣入場の待ち時間は およそ1時間半です。」とのアナウンスを聞きながら行列の最後尾へ。
前回自転車で姫路城へ来た時には城内へは入っていません。
初めて入城した姫路城を眺めます。
「1時間半待ち」とアナウンスがあったんですが、それでも結構スムースに列は進みます。
途中で10分程足止め。
足止めが解除されたので再び歩き始めます。
城の向こうに城がある。
姫路城の重層的な構造に大感激。
超大迫力の面構え!
色が異なる石垣の石。
これを見て思い出したことがあります。
滋賀県の姫路城は、過去一度も戦火などで燃えたことはありません。
でも彦根城の石垣にははっきりとした焼け焦げた跡があります。
これは、当時の徹底したリサイクルゆえ。
戦火で焼け落ちた城の石垣の石を彦根城に運んでいって使ったからなんです。
姫路城の石垣の石の色の違いも、「近年になって修復した。」と考えるより「他の城の石垣の石を運んできた。」と考える方がいいのかもしれません。
天守閣へ到着。
門の名前が「いろは」の順になっているようです。
門の名前が「いろは」ではなくなりました。
天守閣内へ。
すんなりと移動できるかと思っていたら、しだいに渋滞が始まりました。
停止した状態で天守閣を眺めます。
天守閣の建物に入ったらかなり狭い場所があり、かなり歩みが遅くなりました。
でもゆえに、建物内部をゆっくりと見ることができます。
天守閣内部から見る外部。
大量の火縄銃が。
本物の火縄銃を見るのは初めて。
しかもこれほどの至近で見ることができるとは!
火縄銃の上には、火縄や火薬を入れていた袋が展示してありました。
火縄銃の銃口。
写真では伝わって来ませんが、天守閣内は人で大渋滞。
小さい子どもが大声で泣いても、お母さんはオロオロするだけ。
列が進まないのでいかんともしがたいのです。
城内の窓に上がる階段。
敵を迎え撃つための構造で、階段下は物資の保管などに使われました。
城は戦の最後の砦で、落とされてしまったら全てがおしまい。
そんな過酷な場所である城には実に様々な工夫がこらされていました。
天守閣内はずっとこんな感じの大渋滞が。
階段の角度は実に45度ほど。
転落・転倒事故などが起こらないのがむしろ不思議な感じ。
やっとこさ天守閣の最高部へ。
そこには神社がありました。
神社の説明。
姫路市街地を見おろす鯱鉾。
こんなものが。
これは何だろう?
「石落とし」。
城は戦の場で、最後の砦。
絶対に落城させてはいけないので実に様々な工夫が凝らされていました。
天守閣の急な階段を何とか無事に下りて外へ。
様々な紋が焼いてある瓦がありました。
説明。
ズーム。
姫路城の桜の花は有名。
3分咲きくらいでしょうか。
天気がよければ青空に映えてきれいなことでしょうが、この日はあいにくの曇り空。
天守閣近くの井戸。
籠城する際には水が必要不可欠ゆえなんでしょうね。
井戸と言えば、混雑していたので「番町皿屋敷」のお菊さんの井戸を見ることができなかったのが残念。
お菊井戸が混雑していたわけではなかったんですが、刻一刻と混雑する様子を見て「とりあえず天守閣へ」と思い「お菊井戸」の矢印前を素通り。
そして、天守閣から出る一方通行のコースにはお菊井戸に行く通路がありませんでした。
他の壁は白壁なのに、ここだけ茶色。
「脂壁」と言うようです。
山土や砂利に、もち米のとき汁にやお粥を加えた壁。
コンクリートのように固く、400年も持っているとは何ともすごい。
天守閣入場待ちの列。
4月に入れば「桜祭り」が始まりますので、そうなれば混雑はこんなものではないとのことです。
城近くの店でアナゴ丼の昼食。
その後、バスで書写山駅へ。
書写駅までバスで結構時間がかかりました。30分近くバスに乗っていたでしょうか。
書写山ロープウェイの車両を眺めます。
数分の乗車で山上駅へ。
山上駅で「入山料」500円と寺までの往復のバス代1,000円を支払い、バスで円教寺へ。
摩尼殿へ。
お参り。
広い境内を進みます。
樹齢700年の杉の木。
幹回りが8.4mもあります。
陸にはえる藻があるようです。
スミレモ。
名前はスミレの匂いがすることからだとか書いてあったので匂いません。
改めて説明を読むと「そのような匂いはしないようです」と書いてありました。(^_^;)
「食堂」。
俗な私は「しょくどう」としか読めませんでしたが「じきどう」と読むようです。
食堂の説明。
食堂の近くに小さな池がありました。
井戸の説明。
弁慶にゆかりがある井戸だそうです。
境内には様々な建物があります。
路傍の石仏。
境内をほぼ一周し終わりました。
多くの石仏が歩き終えた私達夫婦を出迎えてくれました。
円教寺境内の風景を胸に刻みます。
ロープウエイ山上駅へ到着。
そろそろロープウエイが出発する時間。
久々で、そして夫婦としては初めて訪れた姫路。
時間のゆとりがあまりなかったのが少し残念でしたが、それでもいい時間が持てました。
ホームに戻る