今日は、帰省していた長女と二男が赴任先に戻った。
Uターンラッシュのピークなので二人とも早朝の指定席しか取れなかった。
だから私も早く起きて、二人と二人を京都駅まで送って行く妻を駅まで送った。
帰宅してホッと一息つき、「さて今日はのんびりしようっと!」と思いながら妻の帰宅を待った。
そして妻が帰宅してきたが、開口一番「二男が自宅マンションの鍵をこの家に忘れたってメールを送ってきた。」って。
そこで探したら、鍵を発見。
どう考えても、郵便や宅急便で送っていたのでは今日中に着くはずがない。
そこで、東北に戻る二男を東京で足止めにして私が新幹線で東京まで鍵を届けることに。

本日のウオーキング歩数、24,812歩。(うちエクササイズウオーク18,009歩)、消費カロリー921kcal。


2010年1月3日(日)




自宅を出て京都駅へ。
指定席が取れないので自由席で東京へ向かいます。
乗る予定の「のぞみ」が到着。



自由席は最後尾の3両。
座れませんが、Uターンラッシュのピークとしては驚くほど乗客が少なめ。
自由席の各車両に、座れずに立っている人は10名未満。
関ヶ原通過。
沿線の積雪は10cmをかなり越えている模様。
彦根辺りから積雪が見られ始め、関ヶ原付近で積雪はピーク。
ここから先では雪は減っていき、ほどなく沿線の積雪はなくなりました。



雄大な富士山。
歌の歌詞通り「頭を雲の上に出し〜」って風景でした。



京都から2時間余りで東京に到着。



新幹線のホームの端に、カメラを抱えた人が何十人と集まっていました。
「どんな珍しいものが写せるのかな?」って気になりましたが、二男を待たしているので残念ながらパスすることに。



東京に戻った長女も待っていてくれました。
長女と二男と、そして私の3人で食事。
鍵を受け取り食事を終えた二男は、慌ただしく東北新幹線へ乗車。
長女と私は東京タワーに行くことに。
旧東京駅前通過。



東京タワーに到着。
中学校の修学旅行で訪れて以来の東京タワー訪問になります。



それにしても凄い迫力。



空いていると思っていた東京タワーは、意外なことに多くの人でごったがえしていました。
エレベーターを待つ列に並びながら、新春の飾り物を眺めます。



20分近く並び、150メートルの高さの大展望台Uへ。
OH!東京の風景が眼前に。
中学校の修学旅行で来て以来、※4年ぶりの東京タワー訪問になります。



更に100メートル高い特別展望台に行こうかと思いましたが、待ち時間がなんと1時間。
1時間を無駄にしたくないので特別展望台行きは諦め、階段を下りて大展望台Tへ。
ガラス張りのこんな床がありました。
絶対に割れないって分かっていますが、私は怖くてこのガラスの上に乗ることができませんでした。



ガラス張りの床に両足で乗っている人。
よくこんな上に乗れるなぁ。(@_@)



下りエレベーターで「屋上」まで下りてきました。
大展望台からの下りエレベーターはここまで。
ここで乗り換えになります。
屋上にある子ども遊園。
屋上の子ども遊園は急激に減少し、今では極めて貴重な存在。
関西でも、京都の高島屋の屋上に残っているくらいのはず。
この子ども遊園は、果たしてこれからいつまで存在することになるんでしょうか。



屋上では、こんなものも。



来る時に通った「光の道」を再び通ります。



来る時にも見た不思議な雰囲気がある建物。
案内板で確認したら、フィジー諸島共和国の大使館でした。



東京に戻ってからまだ自宅に帰っていない長女は、大きな荷物を引きずって歩いています。
「まだ付き合うけど」という長女の親切心に心から感謝しながら、長女と別れることに。
東京タワーから歩いて国会議事堂までやって来ました。
「風雲急を告げる永田町」などというビートたけしのテレビ番組の言葉を思い出しました。
ここに来るのも中学校の修学旅行以来。



テレビでよく見聞する地名。



旧江戸城で今は皇居になっている場所のお堀。



皇居を一周します。
驚くほど多くのジョギングの人がいました。
この日は箱根駅伝があったことも あるいは関係しているのかもしれません。
東京タワーの展望台からは、箱根駅伝の走者が見えていました。



お城の雰囲気が色濃く残っています。



「大田道灌」って名前は、歴史で習った記憶がわずかにあります。



「追慕の碑」。






「思い出の地」である日本武道館へ。
40年近く前、子どもの頃からなりたかった仕事への転職を目指し採用試験を受けた私は見事に合格し、「採用予定者名簿」に名前が載りました。
そのままいけば、あこがれの職業に転職できるのは100%確実。
でも、当時政治活動をしていた私にとって絶対に参加しなければって思う大きな集会とデモ・街頭活動が迫っていました。
内容を考えると逮捕される可能性が極めて高く、しかも刃物で武装した輩の襲撃を受ける可能性も決して少なくない行動。
参加するかどうか一瞬躊躇しましたが、転職すればこれまでと同じような活動はできなくなるし、これまで行動を共にしてきた職場の仲間達とも離れることになります。
ゆえに「絶対に参加したい。だから参加する。」という思いで参加を決意。
参加した仲間から、「ええんけ?お前。パクられたら転職できなくなるんやぞ。」って言われた言葉が今でも記憶に残っています。



日本武道館。
前日に東京入りし夜は某工業大学で仮眠。
翌日に集会を開いたあと ここ武道館を目指して「実力進撃」。
刃物を帯びた輩の襲撃に備え、私は腹部に少年ジャンプを2冊入れてデモ行進に参加。
デモ参加者の3分の1程が「刃物の輩」の襲撃に備え、よく乾燥した太い竹竿に赤い布を巻いた旗竿で「軽武装」し行動を貫徹。
機動の激しい暴行と、そして続出する逮捕者にも耐えてついに集会とデモは成功裏に終了。
機動の暴行で負傷したものの、結局私は逮捕されることなく行動を終えることができました。



今日訪れた武道館。
東京での活動を終えた私は、戻ってからは転職に備えてかなり忙しくなりました。
そして転職を果たします。
職場が変わってしまったため、共に活動していた仲間達との交流は激減。
そして歳月が流れ今に至ります。
今から思えば、あの日 武道館を目指して実力進撃した行動が、私の活動のひとつの節目になりました。
それはそれとして。
この日の武道館には多くの若者が集まっていました。
「BASE BALL BEAR」って何だろう??



40年の歳月。
長かったとは決して思えません。
「あっという間だ。」って、私は今日 過去の自分の行動と共にその思いを長女に告げました。
その言葉を、長女はどのように受け止めたんでしょうか。
また時間が流れれば、一度尋ねてみたいなって思っています。



慌ただしかったけれど、それでも旅行好きの私にとってまるで「お年玉」のような急な東京行き。
いやいや、、こんなこと言ったらよくないのかもしれませんが、本当に充実した楽しい一日になりました。
二男よありがとう・・・、でももっとしっかりしろよっての。(-_-;)



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