今日は、昼前から2009・錦秋の京都を歩くフィーナーレ。
行先は京都で最も遅い時期に紅葉を楽しむことができる下賀茂神社。
下賀茂神社の紅葉は、京都の紅葉の最後を飾るにふさわしい素晴らしくてそして神秘的なものでした。

本日のウオーキング歩数、17,590歩。(うちエクササイズウオーク9,427歩)、消費カロリー587kcal。

2009年12月12日(土)




JRで京都駅着。
河原町通りへ。
イチョウの紅葉がきれい!



河原町通りから少し東に入ったところでこんな看板を見つけました。
眼下・外科医療器具 歴史博物館。
興味があったのですが、シャッターが閉まっていて中の様子をうかがうことはできませんでした。



正面橋。



正面橋西詰めに置かれている鐘。
何の説明もないのが不思議。
私が鐘の写真を撮っているのを見た自転車で通りがかった地元の人が、「何でこんなところに鐘が置いてあるのやろ。何の鐘やろ。」と同行の人に話しかけていました。
本当に何の鐘なんでしょうかね。



旧遊郭の五条楽園へ。
建物が歴史を感じさせますが、この建物は今はもう民家のようです。



上の写真の建物に掲げてあった表札。
凄い番地ですが、この番外地の表札の下には普通の表札がきちんとかかっていました。



遊郭そのものの建物。



歴史的には極めて貴重な建物がいっぱい。
二階の手すりの下にあるものは何だろう・・・・・?



ズーム。



旧遊郭の建物。
この建物は営業している雰囲気はありませんが、なぜか「旧」のはずなのに今も当時と同じように営業してる店がある模様。
ここ五条楽園の中には、とある指定「某」力団の要塞のような建物があります。
その建物の中からは24時間体制で外部を見張ってるのでしょうか、観光客がその建物にカメラを向けたとたんに何人もの人物が建物から飛び出してきたことがあったようです。



京都にはとっても怖い話が昔から数え切れないほど伝わって来ました。
その怖い話の舞台の一つ、河原院跡へ。
五条楽園の北端にあります。



河原院跡の説明。



石碑。



五条大橋を渡ります。
橋の上から見る鴨川下流方向。
天気がとっても悪いですが、雨が降っていないのがラッキー。
今日は午前中ずっと雨が降っていましたから、傘をささずに歩けることがとっても嬉しいです。



五条通り(国道1号線)沿いの若宮八幡宮へ。



別名「陶器神社」の名がある若宮八幡宮。



東山通りに近い「ふじひら陶芸」のお店。
店内には喫茶コーナーがあります。
お店で買い物をするか喫茶コーナーを利用した上で交渉すれば、至近にある驚くほど大きな登り窯や、世界初のロケット戦闘機「秋水」の陶器製燃料精製装置、更には陶器製の手榴弾を見せていただくことも可能。
金属不足が深刻だった戦争末期には、陶器製の補助貨幣(コイン)も試作されていたことも、登り窯を見学させていただいた際に知ることができました。



河原町通りを外れ八坂の塔方向へ。



素晴らしい風景。
京都って本当に素敵だなって心から思えます。



日本最古とされる庚申さんの境内へ。



お参りを終え山門へ。



八坂の塔へ。
塔の説明を読みます。



素晴らしい京都。



二年坂へ。



二年坂を下り北上。
天気が回復し日が差してきました。



高台寺近くへ。
京都に古くから伝わる「幽霊子育て飴」。
その話の中で、墓地で見つかったとされる赤ちゃんは、成人し高僧になったとされます。
幽霊のお母さんに育てられていた赤ちゃんが成長して高僧となったそのお寺とは、ここ高台寺だとされています。



特別な場所でなく、普通に歩く場所の風景がこれ。
京都って本当に素敵だなって思います。



石塀(いしべ)小路へ寄ってみようっと。



石塀小路の風景。
歩いていた観光客が「テレビのサスペンスドラマでよく出てくる場所だ。」と話すのを聞いて、「そうなのか!」って思いました。
私はテレビでドラマは一切見ませんから、ここ石塀小路がテレビのサスペンスに出てくるとは全く知りませんでした。



八坂神社へ到着。



八坂神社では結婚式が行われていました。



どうぞ、末永くお幸せに。



八坂神社境内にある忠盛灯篭。
観光客はこの灯篭に見向きもしませんが、実はこの忠盛灯篭にはある話が伝わっています。
それは平清盛の父親の平忠盛にまつわる話。
白河上皇が忠盛を伴ってここを通りがかった時、口から火を吐く恐ろしい化け物を見つけました。
白河上皇は恐れおののき、忠盛に「化け物を殺せ!」と命じました。
しかし、忠盛は恐れずに化け物を観察し、そしてそれが化け物ではなく灯籠に火をつける老僧であることに気づきます。
その冷静な判断力を上皇に大いに褒められたそうです。
この灯籠は、そのときのものだとされています。


円山公園に今も残るラジオ塔。
和初期にラジオを共同で聴くために建てられた「ラジオ塔」の遺構のひとつ。
ラジオ塔は、家庭にラジオが普及していなかった1930年に大阪の天王寺公園に初めて建てられたのが始まり。
それ以降、戦時中にかけて全国の公園や広場に設置されました。
NHKや自治体が設け、コンクリートや石で造った高さ2〜3メートルの塔の中に受信機と拡声器を備えていました。
全国で約400基の塔の設置記録があるそうだが、京都ではここ円山公園の他、西本願寺境内に当時あった公園など7カ所があったとか。



ラジオ塔に今も掲げてあるラジオ体操の様子を伝える写真。
かつてはこのように、ここでラジオ体操をする人が数多くいたのです。



円山公園を通り抜け知恩院前に。



正午前に自宅を出ました。
そして、今日は午後4時前には帰宅しなくてはなりません。
時間不足のため、京阪電車に乗るために知恩院前から京阪三条駅へ向かいます。
京阪三条駅前に到着。
駅前に、まるで時間が止まったかのような素敵な雰囲気のお肉屋さんがありました。



三条駅で特急電車に乗りました。
目的地は、二つ先の出町柳駅。



京阪電車の終点である出町柳駅で下車。
出町柳駅から下賀茂神社までは至近距離。
下賀茂神社の息吹が感じられる場所へ。
雨が降ってきました。



下賀茂神社へ到着。
まずは河合神社へお参りすることに。



河合神社には鴨長明の方丈があります。
その説明。



方丈を復元した建物。



方丈の内部。
方丈とは簡単に表現すると「移動式住居」ってことです。



河合神社をあとにして糺(ただす)の森を眺めます。



京都では12月中旬になっても、このような紅葉風景を毎年楽しむことができるのです。



「糺の森のヌシ」と呼ばれてきた樹齢600年のケヤキの木の切り株。



下賀茂神社・糺の森(ただすのもり)の素晴らしい紅葉。



清流と遊ぶ紅葉



下賀茂神社の紅葉は、一枚一枚の葉が美しいのではなく風景の一部としての紅葉が美しいのです。
つまり、下賀茂神社の紅葉は糺の森の風景と一体化してこそその魅力を最大に発揮するのです。



今日は日がいいのでしょうか?
八坂神社と同様に、ここ下賀茂神社でも結婚式が行われていました。
この建物は、結婚式を挙げる親族の控えの場。



本殿へ。



どうぞ、末永くお幸せに。



縁結びの神様である相生社へ。
そう言えば、ここに何度も一緒にお参りした某BINさんは、もう結婚したのかな?!
賽銭、基!幸千を心をこめて入れ、何度も「縁結び」お願いしているので、おそらくもう間違いなく結婚したことだろうなぁ・・・。



社横のご神木は「京の七不思議」のひとつなのです。



京の七不思議のひとつである連理の賢木。
縁結びのご神木です。
この神木は「相生社」縁結びの神の御神威によって二本の木が一本に結ばれたとされ、縁結び、安産子育、家内安全の御神徳の現われなんだそうです。
御神木は四代目ですが、四代にわたり糺の森の神域に生えてきたことがとっても不思議。




左側の木は、糺の森のヌシと呼ばれた樹齢600年のケヤキの樹の一部です。



御手洗(みたらし)の説明。
ここ下賀茂神社は「みたらし団子」ゆかりの地でもあるのです。






小雨に濡れる糺の森と奈良の小川。



もう12月の中旬なのに、ここ糺の森の紅葉はちょうど見ごろです。
糺の森の紅葉は、京都で最も遅く紅葉を楽しむことができる場所なのです。



霧が出ていれば、きっともっともっと神秘的な雰囲気なんでしょうね。



帰路に。
紅葉のトンネルを歩きます。
美しい紅葉に言葉は不要。
以下どうぞ紅葉が盛りの下賀茂神社の風景をお楽しみください。






雨がしとしとと降っているとは思えないほど美しく輝くような紅葉。



結構多くの人が訪れています。
京都で最も遅く紅葉が楽しめるここ下賀茂神社は、「知る人ぞ知る」紅葉の名所なんでしょうね。












下賀茂神社に来て最初に訪れた河合神社は「女性守護」「日本第一美麗の神」なんだそうです。
知らずにお参りしていました。



帰路は京阪電車で宇治まで帰ることにします。
京阪特急に乗車。



よっこいしょっと。
10km余りしか歩いていないのに、座ると何だかホッとします。
このズボンは、ウオーク用にホームセンターで購入した作業ズボン。
ポケットがいっぱいついていてとっても足が動かしやすい優れ物。
なのに価格は2,000円でお釣りがあるほどの低価格。
とっても気に入っているズボンなのです。



中書島で特急を下り京阪電車宇治線へ。
宇治駅まで乗らず、用事があるので途中の六地蔵駅で下車。
この駅を見て何か気付くことはありませんか?



六地蔵駅は、道路から見るとまるで2階にホームがあるように見えます。
それには理由があります。
暴れ川である山科川は過去に何度も水害を起してきたので、そのたびに川の堤防が高くされてきました。
その結果、堤防は道路よりはるかに高くなってしまったのです。
京阪電車の線路が山科川の堤防を越えた位置に六地蔵駅があるので、結果的に六地蔵駅のホームは道路よりはるかに高い位置に造らざるを得なかったのです。



素晴らしかった2009年の京都の紅葉。
その京都の紅葉のフィナーレにふさわしい素晴らしい下賀茂神社の紅葉を今年は観ることができたのでとっても満足。
京都の紅葉って本当に素晴らしい!


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